しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「金閣寺」と「鏡子の家」

NHkテレビテキスト100分de名著「三島由紀夫金閣寺」を、

テレビ番組に先駆けて読了しました。テキストの執筆者は、小説家の平野啓一郎さんです。


いゃあ~、実に面白いテキストで、一気に読んでしまいました。

これまで私は、多感な若かりし頃と、馬齢を積み重ねてからの2度、「金閣寺」を読みましたが、

それはただ、小説に書かれた「物語」を読むということだけで、

三島由紀夫という作家の、「人生の軌跡とその思想」を、結び付けて読むということはありませんでした。


なお、テキストを読んで参考になったのは、若い頃読んだ「鏡子の家」との関係性でした。

平野さんは次のようなことを述べられていました。

・‥‥三島は「金閣寺」執筆の14年後、45歳で自死します。

 そのきっかけとなったのが、三島が「金閣寺」の次に挑んだ長編小説「鏡子の家」(1959年)

 だったのではないかと僕は推察します。

 三島が溝口に託して言った「生きようと私は思った」の意味を考える上でも外せない作品です‥‥。

・‥‥まさに芸術家としての実践であった「鏡子の家」ですが、文壇での評価は低いものでした。

 三島は戦後社会の特徴を、人々がバラバラで深く触れ合わないことに見て、

 「鏡子の家」の登場人物を造形しています。

 ところが時あたかも政治の季節、若者たちの間で安保闘争が激しくなる頃にあっては、

 登場人物たちが激しく議論することもなくすれ違いののまま生きているこの小説こそ

 現代であるという三島の意図は、理解されませんでした‥‥。


う~む、なるほど‥‥。

鏡子の家」が、三島の自死に至る、そんな重要な「ポジョニング」を占める小説だとは、

このテキストを読むまで、考えたことさえありませんでした。

この際、テレビ番組との視聴に合わせて、もう一度「鏡子の家」を読み直してみようと思っています。