今日から7月となりました。
2021年(令和3年)も半分が過ぎ、仕事をリタイアしてから3か月が経過しました。
その初日の今日は、お昼過ぎに一時、晴れ間が拡がったものの、
この梅雨の季節らしく、雨が強く降ったり、弱く降ったりという、不安定な一日となりました。
雨が降っていなければ、お隣りの伊予市の、父のかかりつけ医の病院まで
車イスを押して行こうと思っていましたが、あいにく雨模様だったので、
往復、タクシーを利用して、受診とお薬の処方を済ませた次第です。
病院の待合室は、日常の患者さんに加えて、
新型コロナワクチンの接種をする高齢者の皆さんで混雑していました。
こうして、7月初日の私の半日は、あっという間に過ぎ去ったのですが、
「名もなき家事」をはじめ、自分自身だけのための時間ではなく、
家族をはじめとして、自分以外の人のために時間を費やすという諸活動が、
翻って、自分の日常を有意義なものにすることに、だんだん気が付きつつあることです。
その典型的なものが「職場での仕事」だったのかもしれません‥‥。
さて、話は変わりますが、昨日の日経新聞一面コラム「春秋」は、
「米情報機関が発表した未確認飛行物体に関する調査報告」に関連したコラムでしたが、
その後半部分には、次のようなことが書かれていました。
『‥‥「わからない」とものごとを断定しない態度は、実は自然と向き合う科学の本質でもある。
ワクチンを打つと不妊になるのでは。子ども世代に悪影響はないか。
こうした問いかけに科学が答えるとすれば「ほぼ皆無だが100%ないとは言えない」。
煮え切らない。白黒はっきりさせてほしい。そう願う人情は理解できる。
だが、安易に「正解」に飛びつく心理は危うい。
「宇宙人はいる/いない」「ワクチンは危ない/危なくない」。
今の段階で断言するのはカルトであって科学ではない。
「わからない」不安に耐え、真理を希求する強さこそを知性という。
それはまた、自然に対して私たちが無知で無力であると認める謙虚さに通じている。』
はぃ、そうですね‥‥。私も、「無知で無力であると認める謙虚さ」と
「分からないことを知りたい」という知的好奇心を、いつまでも持ち続けたいと思っています。