今日の日経新聞「大学」欄に、
『「普段着の日本語」学ぼう~哲学者が説く 論理力の鍛え方』というタイトルの、
哲学者・野矢茂樹さんへのヘンタビュー記事が掲載されていました。
ビジネスや教育など々な分野で、
論理力(ものごとを道筋に沿って、きちんと伝える能力のこと)の強化が求められているとのことで、
大学入試の変更に伴い、来年から高校でも「論理国語」の授業が始まるそうです。
記事の中から、大切と思われる主なQ&Aを抜き出してみました。
Q 現状をどうみますか。
A 危険な感じがします。言葉と言葉をちゃんとつないで、議論ができるようにするのが論理。
論理力とは国語力であり、コミュニケーション能力のことだと考えています。
ところが、このつながりを読み取る力が弱くなっている。
Q 論理力をどう鍛えますか。
A 大事なことは日本語を論理的に使える能力をちゃんと育て、鍛えていくことです。
論点を整理する。根拠と結論の関係を明確に言葉にできる。
こうした論理は学べるし、何よりもそれは国語の力です。
論理力に求められるのは芸術的な文章ではなく、「普段着の日本語」なのです。
国語の先生方にも英語教師が構文を教えるように
語学としての日本語を教えてほしいと願っています。
Q 国語が変われば、何が変わりますか。
A 日本が変わると信じています。
いまは言葉が断片化し、たいへん危ない状況になってきている。
SNSだけでなく、政治家が発する言葉も、曖昧で不用意で、だらしがなくなってきている。
‥‥これを打破するのに論理的な国語力は大きな力になります。
言葉をつないでしっかりした議論を組み立てる。
相手との違いを見極めたうえで、あきらめずに互いに納得できるまで話し合う。
そうした冷静なやりとりができるようになれば、日本社会はきっと変わるに違いありません。
う~む、なるほど‥‥。来年から高校で「論理国語」の授業が始まるのですね。初めて知りました。
なお、記事では、玉利編集委員の次のような解説がありました。
『野矢さんが勧める「普段着の日本語」は、論理を柱にした国語だ。
理科や社会などすべての科目に共通する土台のような働きをする。
一般に考えられているよりも、もっと基礎的で人間のあらゆる活動に関わっている。
これがないと、教科書も理解できないし、知識も身につかない。
自然科学や社会科学などの源をさかのぼると、ソクラテスやプラトンなどの古代哲学にたどり着く。
哲学者は当時から分野などにとらわれず、学問の土台を探究してきた。
学びの基礎である国語を鍛え直せという提案には、哲人ならではの視点が生きている。‥‥』
はぃ‥、「学びの基礎である国語を鍛え直せ」というのはごもっともなご提案だと思いますが、
この「論理国語」を教える、高校の先生方のご苦労は大変なものがありそうですね‥‥。
この教科書の中身を、一度見てみたいものです‥‥。どのような「題材」を使うのかしら?
追記
「政治家が発する言葉も、曖昧で不用意で、だらしがなくなってきている」というご指摘は、
「誰かさん」(ご想像にお任せします)の諸々の発言のことを言っているようで、正直、びっくりしました。