東京オリンピックもテレビ観戦したいし、本も読みたいし、
という贅沢な悩みを抱えながら、このところの日々を過ごしています。
さて、昨日25日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、文芸評論家・唐木順三の
「この本こそ私一人のために書き残されたのだ、という読書の体験をもたないひとは気の毒な、不幸なひとだ」
という言葉で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『優れた書物は、読む者に、これはこの私に宛てて書かれた本だと信じさせる力をもつ。
つまり、各人が自分の問題を突きつめていった先で出会う、その意味で逆説的にも普遍的なものである。
いや、出会うというより、通りすがりにいきなり胸ぐらを掴(つか)んで、
これだけは読んでおけと迫ってくるヤバイ本である。随想集「朴(ほお)の木」から。』
う~む、なるほど‥‥。「逆説的にも普遍的なもの」ですか。
「自分の問題を突きつめていった先」という高いレベルではなくても、
「これだけは読んでおけと迫ってくる優れた書物」に出合えることは、
何ものにも代えがたい大きな喜びがある、そのことは間違いないと思います‥‥。