Kindle端末で、長編歴史小説『樅の木は残った~全巻セット』(山本周五郎著)を読了しました。
読み応えがあり、しかも名言が盛りだくさんの、私好みの本でした。
その中でも、強く印象に残ったのは、松山の館主・茂庭周防(もにわすおう)と
主人公・原田甲斐が交わした、次のような会話の一部でした。
「笑うかもしれないが。」と周防が云った。
「おれがいちばん心配しているのは、うまく死ねればいいが、ということだ。」
「自然のままがいい。」と甲斐が云った。
「うまく死のうとまずく死のうと、死ぬことに変わりはないのさ。」
周防は微笑し、じっと甲斐の眼をみつめながら、頷いた。
「では、これで。」「では、‥‥」 それが、二人の会った最後となった。
小心者の私はいつも、「自分は人生最期の瞬間に、上手に死ぬことができるだろうか?」と考えています。
それと同じことが、この会話の中に書かれてあって、震えるような感動を覚えました。
そして、このしばらく後には、次のような文章がありました。
「死は怖ろしいものだ。」人間は誰しも死を怖れる。死そのものを怖れない人間でも、臨終の一瞬は怖ろしい。
そして、もう一つ‥‥。ニ絃琴の奏者・吉岡一玄との会話の中では、
原田甲斐は、伊勢物語の主人公・在原業平(ありわらのなりひら)の、次の歌を引用していました。
「おもうこと/いわでぞただに/やみぬべき/我とひとしき/人しなければ」
高樹のぶ子さんのNHKテレビテキスト「100分de名著」には、この歌の
「思っていることは言わずに、そのまま終えるべきであろう。
私と同じ人などこの世には居ないのだから。心の底より解ってもらえるはずなどないのだ。」
との解説があります。この小説の真骨頂を、作者が主人公に託した歌だと、私には思われました。