今月27日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、社会学者・岸政彦さんの
「凄惨(せいさん)な語りはしばしば、穏やかな表情で、淡々と語られる。」という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『あるいは「かすかな微笑(ほほえ)みとともに」語られもすれば、
「嗚咽(おえつ)」とともに零(こぼ)れ落ちもする。
楽しい話は朗らかに、悲しい話は泣きながら語られるとはかぎらないと、社会学者は言う。
人はこうした隙間で耳をそばだてるのだが、語りを文字にし、物語として象(かたど)るうち、
それが口調や表情以上に多くの情報を含み持つことに驚かされると。
「聞くという経験」(「文藝」冬季号)から』
う~む、なるほど‥‥。
「楽しい話は朗らかに、悲しい話は泣きながら語られるとはかぎらない」ですか‥。
案外、そういうものなのかもしれません。
岸政彦さんといえば、NHK Eテレの100分de名著『ブルデュー ディスタンクシオン』で
番組指南役として出演されましたが、その時の歯切れのよい解説が印象に残っています。
ですから、今回の「ことば」は、よけいに身近に感じました。
追記
今日31日は、衆院選挙の投・開票日です。
午後2時過ぎに、父を乗せた車椅子を押して、投票所まで足を運びましたが、
投票所は、次から次へと選挙人の皆さんがやってきて、予想以上に混雑していました。
93歳の父が投じた一票も、重みのある一票ではないだろうか‥、そんなことを感じた次第です。