町立図書館で借りてきた『JR上野駅公園口』(柳美里著:河出文庫)を読了しました。
なんとも切なくて哀しく、そして、やりきれない思いが読後に残る本でした。
高度経済成長期の中、その象徴ともいえる「上野」を舞台に、
福島県相馬郡(現南相馬市)出身の一人の男性の生涯を描いた作品なのですが、
「あとがき」で書かれていた、「在るひとに、無いひとの気持ちは解らないよ」という言葉が、
ずっと心に重くのしかかっています。
そして、昨日13日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、その柳美里さんの
「この世から剥離(はくり)しかけた人を、最後にこの世に繋(つな)ぎ止めるのは、
言葉だと信じている」という言葉で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
運行数の少ない電車に乗り遅れた高校生のために本屋を開く。
「何も買わなくても、一時間以上滞在できる店は本屋ぐらい」だからと。
この地域に限らず、重苦に苛(さいな)まれる一人一人にとって、
言葉は身をかろうじて支える《存在のギプス》となるもの。
随想「言葉の前に椅子を」(前野久美子編『仙台本屋時間』所収)から。』
う~む、なるほど‥‥。
「言葉は身をかろうじて支える《存在のギプス》となるもの」ですか‥‥。
本書を読んだ後だけに、よけいに胸を打つものがあります。