今日の日経新聞「オピニオン」欄「中外時評」に掲載された、
『「新しい資本主義」論の軽さ』というタイトルの論評が、とても勉強になりました。
長文なので、最初と最後の箇所を次のとおり抜き出して、この日記に書き残しておこうと思います。
それでも長文になったけれど‥‥。
『ドイツの歴史学者ユルゲン・コッカ氏が自著「資本主義の歴史」にこう記している。
「資本主義は、イノベーションと成長の原動力として、
しかしまた危機と搾取、疎外の源泉として議論される」
今は前者の光より、後者の影に焦点が当たる時代だ。
グローバル化やデジタル化の副作用、リーマン・ショックの後遺症、そしてコロナ禍の痛みが重なり、
資本主義のあり方が問い直されている。
この国も例外ではない。米経済学者のエマニュエル・サエズ氏らによると、
日本の上位1%の富裕層が稼ぐ所得の割合は、2019年時点で全体の13%強。
米国の19%弱には及ばないが、ドイツや英国の13%弱をやや上回る。
市場の機能を尊ぶ新自由主義の弊害を直視し、
国家の介入で富の偏在を正そうという岸田文雄首相の意気込みはわかる。
だが成長と分配の好循環を目指す「新しい資本主義」の看板は、あまりにも軽いと言わざるを得ない。
少数の強者が所得も資産も握り、多数の弱者を置き去りにする現状を、
米経済学者のブランコ・ミラノビッチ氏は「ホモプルーティア(同じ人間が抱える富)」と評した。
一部の富裕層や大企業が政治と市場の力によって利潤を搾取するさまは
「レンティア資本主義」とも呼ばれる。
税制や社会保障などの抜本改革を封印し、一時的な現金給付や賃上げ促進の政策減税といった
小手先の分配戦略に走っても、複雑さを増す資本主義の病巣にメスが入るとは思えない。
株主第一主義の修正に動く企業との連携も念頭に置き、もっと骨太のビジョンを示すべきだろう。
~(中略)~
「ショックや危機、破壊的な反動の後には統合加速の時代が続いた」。
コロナ後の世界が向き合うのはグローバル化の終結や減速どころか復活だと、
英歴史学者のハロルド・ジェームズ氏は説く。
その波をガードを固めてやりすごすだけなのか。
日本でも新自由主義への風当たりは強いが、むしろ足りないのは競争や成長ではないか。
首相は起業の促進や人材への投資につながる施策を深掘りし、
産業の新陳代謝や労働者の生産性を高めてほしい。
例えば過剰な現金給付や旅行・飲食補助を撤回し、起業家を手厚く支援してもいい。
「競争」とは勉強や進歩の母なのである――。
日本資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一の語録「論語と算盤(そろばん)」の一節は、今も変わらぬ真理だ。
改革も競争もない分配国家でいいはずがない。』
う~む、なるほど‥‥。「競争」とは勉強や進歩の母ですか‥‥。
長年、日経新聞を愛読しているせいでしょうか、
私には、先日の佐伯啓思先生の論評よりも、こちらの論評の方が、ストンと腹に落ちるものがあります。
ひょっとして、見事に「洗脳」されているのでしょうか‥‥?
miyoshi-s.hatenablog.com