しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

万感胸に迫る‥‥

阪神タイガースファンの私が、その生の試合を観戦するには、

松山観光港からフェリーか高速船に乗って、波静かな瀬戸内海を渡り、

広島に行くことがもっとも手軽な方法です。

これまで幾度となく、熱烈な阪神ファンと一緒に、「広島市民球場」「マツダスタジアム」に行きました。

広島カープファンでほぼ赤一色に染まった球場で、メガホンを振りながら贔屓のチームを応援するのは、

いつもながらプレッシャーを感じます。


今日の日経新聞一面コラム「春秋」は、その広島カープの元監督、古葉竹識さんの逝去を悼む

次のような内容のコラムでした。

大江健三郎さんの著書「ヒロシマ・ノート」にこんな一節がある。

 「一年前、飛行場に僕をおくってくれた運転手とおなじく、いま僕を市街のなかへ運んでゆく運転手もまた、

 昨夜の広島カープの試合の噂に夢中だ」。1964年、広島空港で拾ったタクシーの描写だ。

 被爆都市のシンボルとはなんだろう。まず、世界遺産原爆ドームが思い浮かぶ。

 カキやお好み焼きなどの名物も外せない。

 でも、地元で最も愛され続けているのは1950年に設立されたカープという球団だろう。

 資金難で長らく低迷が続くのだが、市民球場を建設。人びとが戦後の困難から立ち上がる希望の光だった。

 ベースボール・マガジン社の「完全保存版 広島カープ全史」のページを繰ると、

 地元ファンの思いが伝わる。「郷土チーム、カープのため援助資金を」。

 看板を掲げ、メガホンで呼びかける市民のセピア色の写真が載っている。

 1975年に弱小球団を悲願のリーグ初優勝に導いた元監督、古葉竹識さんの訃報が届いた。

 広島に凱旋したナインを市民は熱狂的に迎えた。歓声、バンザイ、そして涙‥‥。

 プロ野球の歴史のなかで、最も感動的な優勝パレードとして語り継がれる。

 勝利したのは、焦土から復興した広島という都市と市民だったかのようであった。

 古葉さんの温顔に宿る激しい闘志と冷静な采配をこの街は決して忘れないだろう。』


はぃ‥、もう何も言うことはありません。

阪神タイガースファンの私にも、数々の名場面が思い起こされ、万感胸に迫るものがありました。

心のこもった追悼のコラムでした。

広島カープファンの皆さんとともに、ご冥福を心からお祈りしたいと思います‥‥。