『「親ガチャ」~宿命間や諦めを表現 努力の効用 認識世代差』という次のような記事を読んで、
いろいろと考えるところがありました。
『子どもは親を選べない。人生の勝ち負けは家庭環境で決まるー。
そんな意味の言葉「親ガチャ」を若い世代が多用している。
ガチャとは「何が出るか分からない」カプセル玩具の販売機や、
ゲームでアイテムなどを入手する際の「何をゲットできるかは運任せ」のシステムのこと。
全ては運命で、自分では選べない。そうした若者たちの人生観が意味するものとは。
「家が貧乏。親ガチャに失敗した」。こんなフレーズがインターネット上などに登場したのは数年前。
社会学者で筑波大教授の土井隆義さんがネット上の論考で改めて紹介した秋以降、
会員制交流サイト(SNS)で、その是非を巡る議論が巻き起こった。
~ (中略) ~
‥‥さらに「親ガチャ」は、努力の効用を巡る世代間の認識の違いも浮き彫りにしたと言う。
今の中高年は、日本の経済成長が続く右肩上がりの時代に育ち、
「10の努力をすれば、50、60のリターンがある」と自然に思えた。
しかし、成長がフラットな今の若者は
「10の努力をしても、せいぜい同じくらいのリターンしか見込めない」と思う。
だから、上の世代に「人生は努力次第で何とでもなる」と言われても、
「いや、無理でしょう」と考える向きが多いのではないか、とみる。
「高すぎる夢や希望を最初から持たなければ、実現しなくても不満や落胆は小さくて済む。
「親ガチャ」には、こうした若者の諦めの気持ちも込められているんです」‥‥』
う~む、なるほど‥‥。「親ガチャ」という言葉があるんですね。初めて知りました。
記事に書かれているように、中高年の一人である私は、
「10の努力をすれば、50、60のリターンがある」「人生は努力次第で何とでもなる」
という時代を生きてきました。
でも、今の若い人は違うのですね‥‥。
先ほどの土井さんは、「親ガチャ」は「若者たちのある種の宿命観、諦めの気持ちを反映している」
と考えているそうです。
また、「高度経済成長期のようなアグレッシブな欲望がない分、地球には優しい。
資源などの持続可能性をフラットに見通せる世代」であるとともに、一方で
「慣れ親しんだコミュニティーの中で生きることを好み、
自分とは異質な環境や他者に興味を抱かない傾向が見える」とも指摘されています。
「明日は今日より良くなる」と、いまだに信じている私よりかは、
今の若い人は、はるかに「大人」なのかもしれません‥‥。