終日、雨が降り続きました。
「三寒四温」ではないけれど、一雨ごとに春が近づいているように感じます。
さて、『自由と成長の経済学~「人新世」と「脱成長コミュニズム」の罠』
(柿埜真吾著:PHP新書)を読了しました。
高度経済成長の恩恵を受けて育った私でも、
近年、露になった資本主義に内在する諸問題と、その将来に一抹の不安を覚えることがあります。
その不安を少しでも払しょくできるかもしれないと期待して本書を選んだのですが、期待外れでした。
言うまでもなく、本書の主目的は、『人新生の「資本論」』(斎藤幸平著:集英社新書)批判にあります。
それにもかかわらず、本書の大半は、斎藤氏が「完全に無効」と認めている
生産力市場主義型の旧ソ連共産主義への批判と、これまでの資本主義の実績の強調に割かれていて、
目新しいと感じた記述はほとんどありませんでした。
斎藤さんの主張は、あくまで晩期マルクスの「脱成長コミュニズム」にあったはずなのに、
それへの反論は説得力に欠けるというか、議論がほとんど噛み合っていないように感じました。
一方で、私は、斎藤さんの主張に与するものでもありません。
価値観がこれほど多様化している現代社会で、「脱成長コミュニズム」の実現は極めて困難だと思うし、
それよりもなによりも、私は「3.5%」の一人になれそうにありません。
斎藤さんの本でも触れられていた、宇沢弘文先生の「社会的共通資本」のように、
既存の資本主義システムのなかで、多種多様な意見を取り入れながら、
それを修正・改善していくことで、気候変動にも対応することではだめなのでしょうか?
偉そうなことを言って恐縮ですが、柿埜さんの本には残念ながら、「品性」「品格」というもの、
そして何よりも、斎藤さんの主張を超える、独自の「思想・哲学」が欠けていたように思います。