しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

ツバメが飛来

今朝、可燃ごみを出すために玄関の扉を開けると、頭上の電線にツバメが羽を休めていました。

我が家のお隣の農作業用の家屋に、毎年、律儀に巣を作りに飛来します。

それにしても早いご到着ですね。長旅、お疲れさまでした。


午後4時頃からは、庭の塀際に「ピンクの玉すだれ」の球根を植えました。

玉すだれは大変強健な植物で、数年は植えっぱなしで良く、病気・害虫も特に無い育てやすい花だそうです。

発芽するのが今から楽しみです。

夕刻から空が曇ってきました。明日は冷たい雨になりそうです‥‥。


追記

今日の日経新聞一面コラム「春秋」は、秀逸なコラムでした。

その全文を、次のとおりこの日記に書き残しておきたいと思います。

『2002年7月、天皇、皇后両陛下(今の上皇ご夫妻)はポーランドを公式訪問された。

 在ワルシャワ日本大使館で開いた親善パーティーに、当時91歳の男性が招かれた。

 命あるうちに美智子さまにお目にかかり、心からお礼を申し上げたい。そんな夢がかなったのだ。

 彼の名はバツワフ・ダニレビッチさん。

 帝政ロシアの支配に抵抗し、シベリアに流刑になったポーランド人の子孫だ。

 ロシア革命後の動乱で生活は困窮する。1922年8月、11歳のときだった。

 日本赤十字社が人道的見地からシベリアのポーランド人孤児を保護し、日本に移送したのだ。

 取材に応じ、遠い記憶を語った。

 大阪にしばらく滞在し、神戸港からロンドン経由で祖国の土を踏む。

 「もしもし かめよ かめさんよ‥‥」。日本で覚えた童謡を歌ってくれた。

 「父はシベリアで亡くなったが、私は日本に助けられ、困難な時代を生き延びることができました」。

 日赤の名誉総裁だった美智子さまの手を握りしめ、万感の思いを伝えた。

 ポーランドは戦乱のウクライナから逃れた人びとを救護する。が、受け入れは限界に達しつつある。

 日本政府は、避難民に就労可能な在留資格を与える方針を表明。自治体も住宅の確保に動き出した。

 ダニレビッチさんは、訪日時に食料や玩具を差し入れてくれた市民の善意を生涯、胸に刻んだ。

 そんな交流を再現したい。』