しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

思いどおりにならない「私」というもの

先日、町立図書館に行って、6月5日(日)から6月11日(土)までの、

朝日新聞一面コラム「天声人語」と「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。


この一週間のコラムで印象に残ったのは、6月5日(日)、養老孟司さんの

「現代人は「仕方がない」が苦手である。何事も思うようになるとなんとなく思っている風情である。」

という「折々のことば」で、いつものように鷲田清一さんの次のような解説があり、

手帳にメモをして帰りました。


『人生をふり返れば、努力ではなく「いつの間にかそうなっていた」ことがほとんどだと解剖学者は言う。

 今更打つ手もない。だから「仕方がない」。何かを思いどおりにしたくて使う身体、

 もっといえばその身体を使う「私」が、じつはもっとも思いどおりにならないものだろう。

 随想「人生論」(「アステイオン」第96号)から。』


う~む、なるほど‥‥。

「何かを思いどおりにしたくて使う身体、もっといえばその身体を使う「私」が、

じつはもっとも思いどおりにならないものだろう。」ですか‥‥。

「まことにもってそのとおり」であることを、日々実感している今日この頃です。

「仕方がない」という境地に達するのは、案外と難しいものですよね‥‥。