町立図書館で借りてきた『女のいない男たち』(村上春樹著:文春文庫)を読了しました。
6つの短編小説それぞれに、次のような印象に残る記述やセリフがありました。
『家福に言わせれば、世の中には大きく分けて二種類の酒飲みがいる。
ひとつは自分に何かをつけ加えるために酒を飲まなくてはならない人々であり、
もうひとつは自分から何かを取り去るために酒を飲まなくてはならない人々だ。
そして高槻の飲み方は明らかに後者だった。』(ドライブ・マイ・カー)
『‥‥でも自分が二十歳だった頃を振り返ってみると、思い出せるのは、
僕がどこまでもひとりぼっちで孤独だったということだけだ。
僕には身体や心を温めてくれる恋人もいなかったし、心を割って話せる友だちもいなかった。
日々何をすればいいのかもわからず、思い描ける将来のビジョンもなかった。
だいたいにおいて自分の内に深く閉じこもっていた。一週間ほとんど誰ともしゃべらないこともあった。
そういう生活が一年ばかり続いた。長い一年間だった。
その時期が厳しい冬となって、僕という人間の内側に貴重な年輪を残してくれたのかどうか、
そこまでは自分でもよくわからないけれど。』(イエスタデイ)
『すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき具わっている、
というのが渡会の個人的見解だった。どんな嘘をどこでどのようにつくか、それは人によって少しずつ違う。
しかしすべての女性はどこかの時点で必ず嘘をつくし、それも大事なところで嘘をつく。
大事でないことでももちろん嘘はつくけれど、それはそれとして、
いちばん大事なところで嘘をつくことをためらわない。
そしてそのときほとんどの女性は顔色ひとつ、声音ひとつ変えない。なぜならそれは彼女ではなく、
彼女に具わった独立器官が勝手におこなっていることだからだ。‥‥』(独立器官)
『‥‥人生って妙なものよね。あるときにはとんでもなく輝かしく絶対的に思えたものが、
しばらく時間が経つと、あるいは少し角度を変えて眺めると、驚くほど色褪せて見えることがある。
私の目はいったい何を見ていたんだろうと、わけがわからなくなってしまう。‥‥』(シェエラザード)
『‥‥人間が抱く感情のうちで、おそらく嫉妬心とプライどくらいたちの悪いものはない。
そして木野はなぜかそのどちらからも、再三ひどい目にあわされてきた。
おれには何かしら人のそういう暗い部分を刺激するものがあるのかもしれない、
と木野はときどき思うことがあった。』(木野)
『女のいない男たちになるのはとても簡単なことだ。
一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去ってしまえばいいのだ。‥‥
‥‥どちらにせよ、あなたはそのようにして女のいない男たちになる。あっという間のことだ。
そしてひとたび女のいない男たちになってしまえば、その孤独の色はあなたの身体に深く染み込んでいく。
淡い色合いの絨毯にこぼれた赤ワインの染みのように。
あなたがどれほど豊富に家政学の専門知識を持ちあわせていたとしても、
その染みを落とすのはおそろしく困難な作業になる。
時間と共に色は多少褪せるかもしれないが、その染みはおそらくあなたが息を引き取るまで、
そこにあくまで染みとして留まっているだろう。‥‥』(女のいない男たち)
これらの記述やセリフの中でも、もっとも印象に残ったのは、「イエスタデイ」の記述でしょうか‥‥。
まるで、二十歳の頃の私を描いているかのような錯覚を覚えました。
また、6つの短編小説の中では、「木野」がもっとも「村上さんらしい小説」ではないかと感じた次第です。