しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「心の背骨」を見つけるには

日経新聞「読書」欄の「リーダーの本棚」は、私のお気に入りの連載の一つです。

今日の「リーダーの本棚」は、東原敏昭・日立製作所会長でした。


記事の冒頭部分で、東原会長は、

「自分はどんな人間なのか。何を見聞きしても揺るがない「心の背骨」をいかに見つけるか。

答えを本の中に探しました。」と述べられていました。


う~む、なるほど、「心の背骨」ですか‥‥。とても重みのある言葉ですね。

この言葉を忘れずにいたいと思います。

そして、東原会長の「座右の書」は、安岡正篤先生の「知命立命」とのことで、

次のようなことを述べられていたことには、そこはかとない親近感を覚えた次第です。


『あの時期(40代後半に差し掛かったころ)に人間学や東洋哲学にのめり込んだのは先輩の影響でした。

 「君が出世したときに大事なのは人徳」とおっしゃり、

 自分で研究していたメモをどさっと手渡されました。その中に頻出したのが安岡正篤の言葉でした。

 興味を抱いて著作を手に取りましたが、1冊あげるなら「知命立命」です。

 人が天から与えられた能力を自覚するのが「知命」、それを存分に発揮するのが「立命」。

 2つを懸命に実践していけば、受け身の「宿命」を、自分で切り開く「運命」に変えることができる。

 かみ砕いてそう理解しました。』


大げさかもしれませんが、実は私も、人生の転機となったのは、

安岡正篤先生の著書「活眼 活学」との出合いでした。

29歳の時に胃を切除して入院治療していた時に、友人がお見舞いに持ってきてくれたのがこの本で、

次の言葉に深い感銘を受けました。


『その人から地位だの、名誉だの、身分だの、報酬だのというものを引いてしまう。

 あるいは親子だの、妻子だのというものを引いてしまうと、何が残るか。

 何も残らぬということではいけない。一切を剥奪されても、奪うべからざる永遠なもの、

 不滅なものが何かあるかという時、答えられる人間にならなければならない。

 それはつきつめたところ、何らかの信仰・信念・哲学というものを持っておらねば能わぬことである。』


それから37年近く経っても、私はいまだに未熟者のままで、

「心の背骨」がない軟体動物のような存在なのですが、

東原会長のように、一生学び続けたいという思いは同じで、そのツールとしての読書があります。