しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

謙虚に耳を傾けつつ‥‥

安倍元総理の銃撃死から、今日で一週間となり、

少し冷静になって、新聞報道を読めるようなってきました。


今日は二つの記事の内容について、考えるところがありました。

まずは、愛媛新聞では、作家の高村薫さんが、「安倍氏の功罪 冷静に判断を」と題して、

次のようなことを述べられていました。


『‥‥安倍晋三元首相が演説中に銃撃されて命を失うという劇的な事件に、

 国民は過剰に反応し、興奮状況にある。日本では死者にむち打つなという風潮が強いが、

 民主主義を軽んじる振る舞いを繰り返した安倍氏の功罪は、冷静に判断されるべきだ。

 安倍氏の国会軽視は甚だしかった。

 うその答弁を積み重ね、憲法に基づき野党が臨時国会を求めても、はねつけた。

 憲法9条の解釈を変更し、集団的自衛権を容認する閣議決定のために、

 内閣法制局長官を自分にとって都合の良い人物に代えさえした。

 そうした手法がもたらした最悪の形が、学校法人「森友学園」への国有地払い下げに端を発した

 財務省の公文書改ざん問題だった。元首相の名を冠した経済政策「アベノミクス」は

 進めることもやめることもできず、着地点を見失っている。

 自分と考えを同じくする人と、それ以外の人を区別し、

 多様性を認めない非民主主義的な手法は政治をゆがめた。

 だが事件は一定の批判すら吹き飛ばしてしまった。こうした過剰反応こそ民主主義の脅威だ。

 事件と安倍氏の功罪を分けて考えることこそ、民主主義国家のあるべき姿のはずだ。』


次に、日経新聞では、フィナンシャルタイムズ アジア・ビジネス・エディターのレオ・ルイスさんが、

今の「パクス・ジャポニカ(日本による平和)」が強固になったのは

国民の政治に対する無関心によるところが大きいという考え方があるが、

市民の政治への関心が常に低くあり続けることで社会の安定が保たれると決めつけることには、

重大な危険が潜むとして、次のように述べられていました。


『‥‥安倍氏の改革は中途半端に終わったものが多かったが、

 同氏が提唱した美しい国は2つの理想が礎となっていた。一つは停滞の嫌悪だ。

 そしてもう一つは、良くも悪くも、国のあり方を形づくる憲法を改正するために、

 日本の全有権者に情熱を持ってもらうようにしなければならないという信念だ。

 安倍氏の後を継ぐ人たちは、国民の政治離れがさらに進むことを決して望んではならない。』


報道によると、岸田総理は昨日の記者会見で、安倍元総理の葬儀について、

秋に「国葬」として実施すると発表されたそうです。

私個人としては、先のお二人のような貴重なご批判・ご意見に謙虚に耳を傾けつつ、

日本という国のために長きにわたり重責を担われた安倍元総理の追悼の儀式が、

しめやかに、そして無事に執り行われることを願いたいと思います‥‥。