しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

再び「保守」を考える

台風5号から遠く離れていても、今日はその影響でしょうか、ほぼ終日、雨が降り続きました。

昨日に比べると気温は下がりましたが、湿度が高く、蒸し暑く感じました。


さて、一昨日の日経新聞文化欄に、吉田満同志社大学教授が、

「終わり迎えた進歩幻想~未来見えぬ若者 権威主義化」というタイトルの論評を寄稿されていました。

『「シン・保守」の時代』という連載の(下)となります。

吉田先生は、次のようなことを述べられていました。


『先進国では1970年代から階級意識が薄れていき、

 政治の対立軸が富の分配から個人の生き方に関する意識の相違へと変化した。

 90年代にはそれまでの左派がリベラルと称するようになり、自己決定権の重視が掲げられるようになった。

 一方、今の日本で「保守」と呼ばれる人たちが守ろうとしているのは

 「失われた平和な20世紀」だと私は考える。20世紀後半は人類史の中でも特殊な時代だった。

 第2次世界大戦後、国境が引き直され、先進国では豊かな中間層が多数派になった。

 しかし、石油危機を経てリーマン・ショックがとどめとなり、豊かな時代は幕を下ろす。

 少子高齢化に転じ、国境を越えた人の移動で同質的な社会も失われた。

 先進国の多くで「子供世代は自分たちほど豊かにならないだろう」という意見が多数派になった。

 進歩幻想が終わりを迎えたのだ。

 だからトランプ政治は喪失された「偉大なアメリカ」に訴えかけたのだった。

 没落と喪失の恐怖は現代日本の保守的な態度にもつながっているように思う。

 五輪や万博、令和版所得倍増計画。ノスタルジーを持ち出して未来を投射しようとしている。

 「保守すべきものがない保守」といえよう。』


う~む‥‥。「ノスタルジーを持ち出して未来を投射しようとしている」ですか‥‥。

高度経済成長の恩恵を受けて育ち、今はその古き良き時代の思い出にどっぷりと浸っている、

そんな自分のことを、痛烈に批判されているような気持ちになりました。


さらに、吉田先生は、論評の最後に次のようなことも述べられていました。

『日本社会は勝ち負けを判断する尺度の種類が少ない。

 人生にはいろいろな尺度があってしかるべきで、それが多様性の本来の意味だったはずだ。

 社会のモデルを再考し、自分が受けた恩恵を後世に再投資していく循環を作っていく必要がある。』


はて、私は、自分が受けた恩恵を、どんな形で恩返しができるのでしょう‥‥?