町立図書館で借りてきた『職業としての小説家』(村上春樹著:スイッチ・パブリッシング)を読了しました。
いゃあ~、とても面白くて、しかも奥深い「自伝的エッセイ」でした。
本書の中でも、特に印象に残っているのは、
「小説家・村上春樹」の「誕生のエピソード」と思われる、次の二つの箇所でした。
まず、三十数年前の春の午後、ヤクルトのデイブ・ヒルトンがトップ・バッターとして、
「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と思ったこと。
そのときの感覚は、空から何かがひらひらとゆっくりと落ちてきて、
それを両手でうまく受け止められたような気分だったこと。
次に、その一年後、春の昼下がりに、千駄谷小学校のそばで拾った怪我をした鳩を両手にそっと持ち、
交番まで持って行ったこと。そのあいだ傷ついた鳩は、自分の手の中で温かく、小さく震えていたこと。
そのときに自分は間違いなく「群像」の新人賞をとり、そしてそのまま小説家になって、
ある程度の成功を収めるだろうと思ったこと。
そして、これらを受けて、著者は次のように語ります。
『そして「小説を書く」意味について考えるとき、いつもそれらの感触を思い起こすことになります。
僕にとってそのような記憶が意味するのは、自分の中にあるはずの何かを信ずることであり、
それが育むであろう可能性を夢見ることでもあります。
そういう感触が自分の内にいまだに残っているというのは、本当に素晴らしいことです。』
さらに、著者は、『小説を書いていて、いちばん楽しいと僕が感じることのひとつは、
「なろうと思えば、自分は誰にでもなれるんだ」ということです』、とおっしゃっていました。
本書を読んで、著者の誠実なお人柄と真摯な執筆姿勢が、少し理解できたような気がしました。
どっぷりと「村上ワールド」に浸ることができる本だと思いました‥‥。