今日の日経新聞一面コラム「春秋」は、秀逸なコラムと思うので、全文を引用させていただき、
この日記に書き残しておこうと思います。
『鉄道駅は国や町を問わず、同じ雰囲気を持つ。瀬戸内寂聴さんが小説「場所」にそう記す。
漂泊の到着点であり旅立ちの起点。無数の別れの記憶が沈殿し哀愁の湿りが漂う。
駅の重さは吸い込まれた涙の重さではないか――。来し方を振り返り、うなずく人は多かろう。
駅が命の砦(とりで)になったことがある。77年前、東京大空襲で下町が焼けた。
生き残った人が上野駅に集まり地下道で1千人が暮らし始める。1割か2割は親を亡くした子だ。
家族を捜そうと上京しむなしく帰る人が「代わりに食べな」とおにぎりをくれた。
石井光太さんのルポ「浮浪児1945―」はそんな体験談を紹介する。
しかし8月15日を境に状況は一変する。
外地からコメが調達できなくなり、配給は滞り炊き出しも消えた。
敗戦で心の支えを失った大人たちは「別人のように冷たくなった」と孤児の1人は振り返る。
「浮浪児」というその頃の蔑称それ自体が子供らに向けられた視線の温度を示す。
東京以外の地も事情はほぼ同じだった。
今、駅舎はきれいに改装され明るい地下道には観葉植物が並ぶ。
詩人の長田弘さんは、記憶とは自分の心に自ら書き込み、培うものだという。
驚きや悲しみ。書物に残る先人らの体験。それらを心にとめ、常に耕す。
そうしてできた「記憶の庭」に人生が育つと考える。
遠ざかる戦争の風景をきちんと心に刻み、育みたい。』(春秋)
う~む、なるほど‥‥。
「記憶とは自分の心に自ら書き込み、培うもの」「「記憶の庭」に人生が育つ」ですか‥‥。
しっかりと心に刻みたいと思います‥‥。
追記
NHKスペシャルでも秀逸な番組が放映されています。昨日はガダルカナル、今日はインパールです。
どちらも名著「失敗の本質」(中公文庫)で、作戦の詳細が描かれています。