昨日の続きです‥。
2月4日(土)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、中井久夫さんの
「戦争を知る者が引退するか世を去った時に次の戦争が始まる例が少なくない。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『戦争が進行してゆく「過程」なら、平和は揺らぎのある「状態」だと精神科医は言う。
それは、部屋を散らかすのと片づけるのの違いに似ていると。
後者の努力を着実に続けるには戦争の記憶を次世代に語り継がなければならない。
が、彼らの関心を惹くには単純化や誇張を伴う物語が要る。
だから「戦記」は多いが「平和物語」はないのだと。論考「戦争と平和 ある観察」から。』
う~む、なるほど‥‥。
戦争は「過程」で平和は「状態」で、
それを身近に例えるなら、「戦争は部屋を散らかす」ことで、「平和は部屋を片づける」ことですか‥。
中井久夫さんといえば、昨年12月に放映されたNHK Eテレ「100分de名著」の第4回目で、
この「戦争と平和」についても、番組指南役の斎藤環さんが取り上げていました。
さらにテレビテキストには、次のように詳しく書かれています。
『戦争は有限期間の「過程」である。始まりがあり終わりがある。
多くの問題は単純化して勝敗にいかに寄与するかという一点に収斂してゆく。
戦争は語りやすく、新聞の紙面一つでも作りやすい。戦争の語りは叙事詩的になりうる。』
『戦争が「過程」であるのに対して平和は無際限に続く有為転変の「状態」である。
だから、非常にわかりにくく、目に見えにくく、心に訴える力が弱い。』
はぃ、もうすっかり忘れてしまっていたので、折に触れてテキストを開く必要がありそうです‥‥。