昨日の続きです‥。
3月10日(金)は昨日に引き続き、むのたけじさんの
「犠牲を払っていると思ってやったことは、必ず誰かを犠牲にしている。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『犠牲を払ってやっているという意識にはどこか、こっちの持ち出しだという、
人を蔑(ないがし)ろにするような意識が含まれている。
ボランティアも、それが誰かに意味があるのは自分にとって意味があるからだとジャーナリストは言う。
自分を粗末にする人は他人も粗末にする、自分にきちんと責任を持つ人は他人に対しても責任を持つと。
「老記者の伝言」(聞き手・木瀬公二)から。』
はぃ、誠におっしゃるとおりだと思います‥。
むのたけじさんといえば、その著書「詞集 たいまつ」は、私の愛読書のひとつです。
この日記にも何度か書いたと思いますが、私のお気に入りの「ことば」は、例えば次のようなものです。
「やり甲斐のある仕事は、捨てられている仕事である。多くの人たちができないと思いこんだり、
つまらないとさげすんでいる仕事にこそ、やり甲斐がいっぱいつまっているのだ。」
「失敗はなるたけしない方がよいにきまっている。
けれども、真にこわいのは失敗することではなく、いい加減にやって成功することだ。」
「人生の航路に偶然はない。悲しいのは、必然でないものと偶然のように出会い、
必然であるものと偶然のように分かれてしまうことだ。」
「人間関係を耕作するのに、謙虚にまさるこやしはない。」
追記
父が入院している病院に洗濯物の受け渡しに行ったところ、「ひげ剃り」を持ってきてくださいとのこと。
その足で施設に向かい、「ひげ剃り」を受け取って、さきほど自宅に帰りました。