昨日の続きです‥。
5月19日(金)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、柳田邦男さんの
「意識の最深部に潜んでいるのに、くもりガラスの向う側に隠れて‥いる
“人格形成の原点”までをも揺り起こしてくる」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『飄々(ひょうひょう)とした俳句にはこういう可能性も確(しか)とあると、
事故や災害や〈死〉について綿密なノンフィクション作品を著してきた作家は語る。
限られた字数の中で、ごくありふれた日常語を象徴化し、それに時代の脈絡を繋げ、地響きを立てさせると。
言葉の鋭利な交差によって。「意識の深層を揺さぶる短詩型文学」(「岳」5月号)から。』
う~む、なるほど‥‥。
「俳句って、どのようなものですか?」と問われた時に、見事にその答えを用意しているように、
俳句に門外漢の私には思えました。
すなわち、「言葉の鋭利な交差によって、限られた字数の中で、ごくありふれた日常語を象徴化し、
それに時代の脈絡を繋げ、地響きを立てさせるという、文学の一形態」‥。
子規さんだったら、鷲田さんの解説にあるこの定義を、どう評価するのかしら‥‥?