しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

虚しさが滲む世代

今日は町立図書館に行って、5月28日(日)から6月3日(土)までの

朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。


この一週間で印象に残ったのは、6月1日(木)、6月2日(金)及び6月3日(土)の「ことば」でした。

まず、6月1日(木)の「ことば」は、後藤正治さんの

『バランスとか折衷とか中庸とか呼ばれるものではなく、健康な懐疑主義といえば近いか。』

という「ことば」で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『本紙「天声人語」欄を執筆していた1970年代に46歳で病没した深代惇郎

 彼の視線には狂信的(ファナティック)なものを排する「強靱(きょうじん)な抑制力」が宿っていたと、

 評伝を著したノンフィクション作家は言う。

 それは敗戦時に若くして、見なくてすめばよいものまで見てしまった世代の虚しさが滲む眼でもあったと。

 「天人 深代惇郎と新聞の時代」から。』


はぃ、「深代惇郎天声人語」と「続 深代惇郎天声人語」は私の愛読書で、

天声人語」という言葉からは、今でも深代さんのことを連想します。


「新聞史上最高のコラムニスト」と評される深代さんは昭和4年生まれで、

昭和3年生まれの私の父と一つ違いになりますから、

父も「敗戦時に若くして、見なくてすめばよいものまで見てしまった世代」ということになります。


「見なくてすめばよいものまで見てしまったもの」とは、具体的には「どのようなもの」だったのか‥?

それは「価値観の転換」といった、抽象的なものだったのか‥?

父が元気なうちに、もっと戦中・戦後の話を聞いておけばよかったと、今になって思います‥‥。


追記

2014年に発行された『天人~深代惇郎と新聞の時代』(後藤正治著:講談社)も良書で、

私の手元にある同書は、付箋だらけになっています。