NHKプラスで映像の世紀バタフライエフェクト「映像記録 東京裁判」を視聴しました。
今回の番組は、歴代のこの番組のなかでも傑作の一つではないでしょうか‥。
番組の中では、二つのことが強く印象に残りました。
その一つは、東京裁判(極東国際軍事裁判)判決後の日本国民が、冷静・客観に自己分析していたことです。
裁判の被告だけに戦争犯罪があるのではなく、日本国民にも責任の一端があるのではないか、
という声があったことには、今の時代から振り返ると「新鮮な驚き」があります。
もう一つは、番組の後半に流れた、
ヴィリー・ブラント第4代西ドイツ首相の演説(1969年10月)における次のような言葉です。
『国民は自らの歴史を冷静に振り返る心構えが必要です。
なぜなら過去を記憶する者だけが、現在を見極め、未来を見通すことができるからです。
歴史との対話は、とくに若い世代にとって大切です。たとえ生まれる前の事だったとしても、
引き継いだ歴史から誰もが自由にはなれないのです。』
(ヴィリー・ブラントは、記者としてニュルンベルク裁判を取材してたそうです。)
はぃ、「負荷ありし自己」の世界観ですよね。
「たとえ生まれる前の事だったとしても、引き継いだ歴史から誰もが自由にはなれない」は、
私をはじめとして、先の大戦を知らない世代には、胆に銘じておきたい言葉だと思います。
この番組を視聴して、書棚に眠っている『落日燃ゆ』(城山三郎著:新潮文庫)を思い出しました。
少し変色した最後のページをめくると、読了日が1992年(平成4年)2月22日と朱書きで記入してありました。
番組で見た広田弘毅の泰然とした顔を思い浮かべながら、もう一度読んでみようと思っています‥‥。