昨日の続きです‥。
5月31日(金)は、ナージャ・トロコンニコワの
「低賃金労働と戦争をアウトソーシングしているのと同じように、
私たちは政治闘争をアウトソーシングしている。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『ロシアのフェミニスト・アート集団Pussy Riotの創設メンバーの一人は、
自分が何かしたところで社会は変わりようがないという「思考の罠」にはまると、声を上げる。
個人の小さな行動も「グローバルな連鎖反応の重要な一部。」
世の中の「くだらない線引き」の犠牲になってはならないと。「読書と暴動」(野中モモ訳)から。』
先日、NHK「映像の世紀バタフライエフェクト」を視聴しました。
2度にわたり繰り広げられた「安保闘争 燃え盛った政治闘争」の記録映像です。
このうち60年安保闘争は、戦争の記憶がまだ生々しかった時代、
若者に大人も加わり国会を取り囲む国民運動となり、
デモに参加していた東大生・樺美智子さんが圧死しました。
全学連委員長・唐牛健太郎さんの名前とその姿も久しぶりに目にしました。
60年安保闘争は、若者が「自分が何かをしたら社会は変わるかもしれない」と思えた、
また「政治闘争をアウトソーシングしなかった」、稀有な出来事だったように思います。
今回の「ことば」とその「解説」を読んで、私の中でこの「テレビ番組」とリンクした次第です‥‥。