昨日の続きです‥。
7月15日(日)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、遠藤周作の
「私はこの洋服を自分に合わせる和服にしようと思ったのである。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『作家は少年時代にキリスト教の洗礼を受けたが、
自分の体とこの「洋服」との「隙間」がいつまでも埋められず苦しんだ。
とはいえ、愛する者がくれた服をたやすく脱ぎ棄(す)てることもできず、
「書く」ことでその隙を埋め始めた。身になじませる以前に服は自分をぬぐためにもあると知る現代人に、
この途はどう映るか。随想「合わない洋服」(「遠藤周作短編集」所収)から。』
なるほど、「身になじませる以前に服は自分をぬぐためにもある」ですか‥。
『遠藤周作の人生最大のテーマとなった葛藤が「日本人でありながらキリスト教徒である矛盾」であり、
自分の信仰に関する思索を「だぶだぶの洋服を和服に仕立て直す作業」と表現し、
このテーマが晩年の「深い河」へもつながっていく‥。』
これは「ウィキペディア」に書かれている内容ですが、今回の「ことば」とその「解説」で、
「沈黙」や「深い河」に遠藤周作が込めようとした「思い」が、少し理解できたように思います‥‥。