「子規逝くや 十七日の 月明に」(高浜虚子)
今日は旧暦の8月17日、郷土の偉人・正岡子規の命日、「糸瓜(へちま)忌」です。
百二十三回忌にあたるそうです‥。
さて、昨日の続きです‥。
9月14日(土)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、小田和正さんの
「なんだかうまくいったなと思うことは、全部、つらい思いをしたあとだった」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『だから「つらいことは信用できる」とシンガー・ソングライターは言う。
でも無理はしていない。無理しないというのは楽をすることではない。
これまでずっと自分に負荷をかけてきた。70歳を迎える今もステージではキーを下げずに歌い、走る。
そのつど駆け抜け、あとで繕ったりしない。「楽したものは信用できない」からと。
2017年の発言。「時は待ってくれない」から。』
なるほど、「つらいことは信用できる」「楽したものは信用できない」ですか‥。
あの偉大な小田さんでさえ、このような境地になるのですね。
「そのつど駆け抜け、後で繕ったりしない」‥。
明日で77歳となる小田さんを、私も少しは見習いたいと思います‥‥。