しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「終わるからこそ幸福である」

今日は二十四節気の「霜降(そうこう)」です‥。

昨日のうそのような寒さから今日は一転、よく晴れて爽やかな青空が広がりました。

どういうお天気が今の季節に相応しいのか、さっぱり分からなくなりました‥。


さて、昨日の続きです‥。

10月15日(水)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、古東哲明さんの

「いつまでも……終わってほしくないほどのものが、幸福な生なのに、

終わるからこそ幸福であるというパラドックス」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『面白い映画も、果てなく続けば「退屈どころか、不気味」だ。

 マラソンもゴールがあるから苦役にならない。

 同じように、ずっと続いてほしい幸福な人生もエンドマークがあるから愉(たの)しめるのだと、

 哲学者は言う。眼の前の光景も〈死〉という終わりのほうから見つめると、

 「とたんにやさしい光をおびて」くると。「思考の平均律」から。』


なるほど、「終わるからこそ幸福である」ですか‥。

フランスのモラリストラ・ロシュフコー箴言

「太陽も死もじっと見つめることはできない。」があります。

究極の終わりである〈死〉から眼前の光景を見つめることは、容易ではないと思います‥‥。

「切なさ」と「懐かしさ」を抱く時

「衣替え」が間に合いませんでした‥。

冷たい雨とともに季節風のような強い風が吹き、突然の寒さに今日は終日、身を震わせていました。


そんな悪天候の中、今日は傘をさし歩いて町立図書館に行って、10月13日(月)から17日(金)までの

朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。

この期間で印象に残ったのは、哲学者や詩人の三つの「ことば」でした。


まず、10月13日(月)は、熊野純彦さんの

「「大人」になるためには……かけがえのない或(あ)るものを失うこと、

大きななにかを諦めることが必要な気がします。」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『自分の関心だけで動いている子どもは、自分と同じくらい、

 いやひょっとしたら自分より大切なものがあると知った時、「大人」への入口にいると哲学者は言う。

 そして手の届かないもの、二度と帰ってこないものへの「はるかな想い」、

 つまりは「切なさ」と「懐かしさ」を抱いた時に「大人」になると。

 「哲学史にしおりをはさむ」から。』


なるほど、「切なさ」と「懐かしさ」を抱いた時に「大人」になる、ですか‥。

はて、私はそうした「切なさ」と「懐かしさ」を抱くことによって、

「大人」になったのはいつだったのだろう‥? 確かにそのような「時」が、私にもあったはずです‥‥。

「国勢調査員のしごと」を終えて

今日、国勢調査の関係書類を役場に提出し、その検査を受け、

国勢調査員のしごと」を無事に終えることができました‥。


ご高齢で足腰が弱っているのに、国民としての義務を果たすため、郵便ポストまで足を運んでいただいた方々、

また、空き家など近隣世帯の情報を親切に教えてくださった方々には、特に感謝を申し上げます。

一方で、再三の回答依頼にもかかわらず、最後まで回答が確認できなかった世帯があったことは、

とても残念なことでした。(調査対象の119世帯のうち、回答を確認できなかったのは2世帯でした。)


今振り返れば、暦の上では秋にもかかわらず、猛暑の中を汗だくで調査区内を歩いた肉体的ダメージよりも、

訪問先で冷たい対応をされた時の精神的ダメージの方が大きかったように思います。


関係者の皆さまには5年後のために、国勢調査員の更なる負担軽減策をご検討いただけたら幸いです。

今回得られた貴重なデータが、国や地方公共団体等の今後の政策に活かされ、

その果実が国民に還元されることを切に願っています‥‥。

ようやく秋らしい季節に‥

気温が25℃には届かず、ようやく秋らしい季節になりました‥。


こうした爽やかな季節になるとなぜか、オフコースの「秋の気配」や紙ふうせんの「冬が来る前に」、

そしてグレープの「追伸」、さらには松田聖子の「風立ちぬ」を無性に聴きたくなります。


苦手な冬が来る前に、夏物をかたずけ、秋冬物の準備をしようと思います。

あぁ、それにしても、今年の夏は本当に長かった‥‥。

「国家」と「愛国精神」について学ぶ

今月15日の日経新聞に、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏が、

ウクライナは勝利している~人々の記憶が国家の礎に」というタイトルの論評を寄稿されていました。

この論評で圧巻なのは、後半の次のような記述です。

少々長くなりますが引用させていただき、この日記に書き残しておこうと思います。


『‥‥この戦争がどうなっていくかは、予測がつかない。

 だが極めて重要なのは、ウクライナの勝利は既に決定的で、覆されることはないという点だ。

 戦争はより多くの領土を占領したり、都市を破壊したり、命を奪ったりした側が勝つわけではない。

 政治的目的を達して初めて勝利と言えるのだ。

 ロシアのプーチン大統領ウクライナという国家の破壊を主たる目的としてこの戦争を始めたが、

 達成できないのは明らかだ。

 プーチン氏はいくつもの演説や論文で、ウクライナは真の国家ではないと主張してきた。

 21年7月に発表した論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」の趣旨も同じだ。

 ウクライナはロシアを弱体化させようとたくらむ外国勢力が擁立した、偽りの存在だという。

 プーチン氏が戦争を始めたのは、ウクライナという国家は存在せず、ウクライナ人は実際にはロシア人で、

 きっかけさえあれば喜んで母なるロシアの一部になるということを世界に証明するためだった。

 このプーチン氏の妄想と野心のために、今後どれだけの命が失われるかわからない。

 だが世界中に明らかになった揺るぎない事実は、ウクライナが本物の国家であり、

 ウクライナの人々はロシアからの独立を守るためなら何が何でも戦うつもりだということだ。

 国家は土地や民が流す血でできているわけではない。

 人々の心に刻まれた様々な物語や姿、記憶によってつくられている。

 この戦争が今後数カ月でいかなる展開をみせようとも、

 ロシアの侵略と残虐行為とウクライナが払った犠牲は、

 今後、何世代にもわたりウクライナの愛国精神を支える礎(いしずえ)となるだろう。』


はぃ、「ウクライナの勝利は既に決定的で、覆されることはない」というご指摘に、とても勇気づけられます。

そして、「国家は人々の心に刻まれた様々な物語や姿、記憶によってつくられている」というご指摘も、

国家とはなにか、愛国精神とはなにかについて、改めて学ぶ機会になりました。


報道によると、米国のトランプ、ロシアのプーチン両大統領が、

再び対面の会談を開いて、ウクライナ和平への打開策を探ることで合意したそうです。

長距離巡航ミサイル「トマホーク」のウクライナへの供与に逡巡しているトランプ大統領は、

プーチン大統領にこれ以上の時間稼ぎを許さず、終戦への強い圧力をかけ続けてほしいものです‥‥。