しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

帰属感を持ちうるコミュニティー

今日から、二十四節気の「立秋」(8/7 ~ 8/22)、

七十二候では「涼風至る(すずかぜいたる))」(8/7 ~ 8/11)です。

「涼しい風が吹き始める頃。まだ暑いからこそ、ふとした瞬間に涼を感じることができます。」と、

「暮らし歳時記」HPの解説にありますが、今日も無風で、うだるような暑さでした。


さて、昨日から日経新聞の文化欄で連載が始まった「戦後日本の行方」、

第2回目の今日は「変わる男女の力学」がテーマで、作家の赤坂真理さんが、

「敗戦で鬱屈 しぼむ男性性 夫婦・家族超える「共同体」必要に」と題して、

次のようなことを述べられていました。


『このところ男性らしさや男性性を嫌悪したり、

 男性であることに罪悪感を抱いたりする傾向を感じる。

 男性のパワーを良いものとして発揮できる機会が減っているからかもしれない。

 社会インフラが整ったことで、スイッチひとつで何でも動き、日常生活から力仕事が消えた。

 優しい男性を望む女性も増えている。

 そのような戦後空間に適応するために、男性性がしぼんできていると見ている。

 しかし性差のダイナミズムがなければ動かないところもある。

 日本の夫婦形成は見合いより恋愛が主流になり、

 マッチングが成立しにくくなっているのがその例だ。

 ひとり暮らしが増え、これまでの家族の形を前提にした社会ではひずみが大きくなっていくだろう。

 家族の概念を広げることもありうる。

 恋愛するしないにかかわらず、親密な人がいたほうが困らないことが多い。

 親族のつき合いや地縁が緩むなか、

 ひとつの家族だけで人生の不確実性に対処するのも限界があるだろう。

 これまでとは違ったかたちで、帰属感を持ちうるコミュニティーが求められていくだろう。』 


う~む、なるほど‥‥。鋭いご指摘だと思います。

でも、「帰属感を持ちうるコミュニティー」って、いったいどんな形になるのでしょう‥‥?

私は、その形は、SNSのような「非接触型」ではなく、

地縁のような「接触型」がどうしても必要になるような気がしています。

「真の愛国」を考える

太平洋戦争の敗戦から75年、戦後の日本社会は何を目指し、何を変えようとしてきたのか、

その歴史と展望を識者に聞く、「戦後日本の行方」という連載記事が、

今日から日経新聞の文化欄で始まりました。

第1回目は、日本思想史家の将基面貴巳ニュージーランド・オタゴ大教授が、

ナショナリズム 批判精神が生む真の愛国」というタイトルで、次のようなことを述べられていました。


ナショナリズムとは自らのネイション(国家・国民)の独自性にこだわる考えのことだ。

 近代国家は人々を統合する手段として「国語」や「国民の歴史」を形成し、

 統一的な「国民」を作ろうとした。それがナショナリズムの起源だ。

                 ~ (中略) ~

 本来、愛国を意味する言葉はナショナリズムではなく「パトリオティズム」だ。

 この言葉は古代ローマの哲学者キケロの思想に由来する。

 キケロは自由や平等、さらにはそれらの価値を守る政治制度などの「共通善」を実現するために、

 人々が美徳を発揮せねばならないと考えた。

 愛国心の敵は共通善を脅かす暴政だ。

 私たち一人ひとりが公共の利益を考え、国が市民に対して責任を果たしているか批判的に観察すること。

 それがパトリオティズムであり、真の愛国といえる。

 また、リベラルな価値観がナショナリズムに及ぼす影響も考える必要がある。

 世界には人種やジェンダーなど、国家以外のアイデンティティーを重視する人も多い。

 たとえば米国の黒人差別反対運動「Black Lives Matter」に見られる国境を越えた連帯は、

 ネイションを神聖視する立場では考えられなかった動きだ。

 こうした連帯がナショナリズムの対抗軸となるか、注視したい。』


う~む、なるほど‥‥。

「国が市民に対して責任を果たしているか批判的に観察すること」が真の愛国なのですね‥‥。

ところで、「愛国」といえば、佐伯啓思先生の「日本の愛国心」(文春文庫)という名著があります。

そこにどんなことが書かれてあったのか、早や忘却の彼方なので、再確認してみました。

そこには、次のようなことが書かれていました。


『‥‥さて本書は「愛国心」をテーマにした書物である。

 中心は「日本の愛国心」であり、私の関心は、いわゆる(西欧発の)ナショナリズム論では捉えきれない

 「日本の愛国心」という問題を、「日本の精神」という磁場において論じることである。』


一言に「愛国」と言っても、その「磁場」をどこに置くかによって、論じ方が変わるのだと思います。

将基面教授と佐伯先生の「愛国」の捉え方は、その磁場に接点がないように私には感じられました。

どちらを向いたらいいのか

今日の日経新聞一面コラム「春秋」は、石川啄木を題材にした次のようなコラムでした。


石川啄木が故郷の岩手山を詠んだという。

 「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」。

 この夏、帰省して肉親や旧友らとの再会を待ちのぞんでいた方も多いであろう。

 ところが、新型コロナの影響で、例年とは様相が一変してしまった。

・地元での感染の広がりを恐れ、各地の知事から里帰りへの注文が相次いでいる。

 「家族で十分に相談を」「リモートで」などなど。

 国はといえば、コロナ対策を担当する大臣が「慎重に考えて」と知事寄りのもの言いの一方で、

 官房長官は旅行・観光業界への配慮からか、人の移動の自粛には慎重なのだと伝えられている。

・いったい、どっちを向いたらいいのか。

 自身や子どもの元気な姿を親に見せたい気持ちは強いが、

 地域のお年寄りや医療機関に迷惑をかけたくはない‥‥。

 親族らとの会食などで「密」になりがちなことを考えれば、

 今回は控えめな行動を選んだ方が良いのかもしれない。

 「うちは大丈夫」といった妙な自信は禁物だろう。

・「ふるさとの土をわが踏めば 何がなしに足軽(かろ)くなり 心重(おも)れり」。

 啄木はさまざまな事情から、郷里への思いは複雑だったようだ。

 今夏もコロナの拡大する中で帰省して「心重れり」となっては切ない。

 懐かしの山や海と向き合い「言ふことなし」「ありがたきかな」と

 腹の底から声を上げるため、もう少し辛抱したい。


はぃ‥、我が家では、毎年お盆に、関西圏から帰省する甥っ子家族らを交えて、

賑やかなひと時を過ごすのが慣例となっています。

ところが、今年は複雑な思いです。

久しぶりに会って、皆で楽しく会話したい気持ちはあるけれど、

92歳の父が万が一コロナウイルスに感染したら、取り返しがつかないことになるし‥‥。


コラムを読むと、コラムニスト氏は、広域的な人の移動には慎重な立場だと拝察する一方、

同じ日経新聞には、「Go To キャンペーン」の全面広告が、3面も掲載されていました。

いったいどちらを向いたらいいのか。

多くの国民が、そのように思っているのではないのかしら‥‥?


追記

コラムを読んで、久しぶりに「啄木歌集」(久保田正文編:角川文庫)を紐解いてみました。

コラムで紹介された歌のほかに、私のお気に入りの歌は、

「別れ来て 年を重ねて年ごとに 戀(こい)しくなれる 君にしあるかな」‥‥。

「忘れがたき人」は、そう、それはまるで「ふるさと」のような存在です。

物事の価値を問い直す

今日の日経新聞「経済教室」に掲載された、猪木武徳大阪大学名誉教授の執筆による、

「相互理解・連携の衰弱一段と~アフターコロナを探る』という論考が勉強になりました。


『‥‥われわれには正確かつ厳密には知り得ないことがある、

 という当たり前の事実への気づきも重要だと痛感する。

 自然科学には「月と雲の時代」というたとえがあるそうだ。

 月には解析性があり、現在の位置と運動法則を把握すれば、すべてが予測できる。

 ところが雲には解析性がない。

 意外性に満ちており、2~3時間後のことさえ予想するのが難しい。

 この2つのタイプの対象の研究が調和を保ちつつ共存するのが「月と雲の時代」の意味だという。

 今回のパンデミックは、人間が雲のような世界に生きているという事実を改めて教えてくれた。

 人工知能(AI)やビッグデータをめぐる専門家たちの研究競争は、

 雲の世界にも一定の解析性をもたらしてくれるかもしれない。

 しかし雲の世界がなくなるわけではない。

 科学が人間の存在の神秘そのものを解き明かしてくれることはないのだ。

 新型コロナ後の世界を予想し、それに備えるという受け身の対応だけでは、流れに身を任すことになる。

 筆者自身、むしろこの災禍を奇貨として、流れに抗しつつ、

 将来への善き転換へのヒントを自律的に探りたい気持ちだ。

 「元の状態が良かった」という思い込みから自由になり、

 物事の価値を問い直すという姿勢が必要だと感じるからだ。』


この論考の中で、私が感じ入ったのは、

『「元の状態が良かった」という思い込みから自由になり、

物事の価値を問い直すという姿勢が必要だ』という言葉でした。


猪木教授ご指摘のように、コロナ以前の世界にもう戻ることができないのなら、

気持ちを切り替えて前に向かって進むしかありません‥‥。

ソフトスキルを磨く

今日の日経新聞一面コラム「春秋」を興味深く読みました。その全文を次のとおり引用させていただきます。


・「21世紀に求められるスキルとは何か」。

 ラジオの語学番組「実践ビジネス英語」の寸劇の中で、

 グローバル企業の社員たちがこんなテーマでやり取りしていた。舞台は米国のニューヨーク。

 さまざまな意見が飛び交うなか、56歳の広報担当マネジャーがこうまとめる。


・「批判的思考力、コミュニケーション力、そして協調性ですね」。

 可視化や数量化が難しい「ソフトスキル」と呼ばれているという。

 経済の変化が速まり「環境に適応し、柔軟に対処できることが重要になっている」

 と別の人物も賛同していた。

 一方で3つを備えた人材は、そういないという嘆きの声もあり、うなずけた。


・いの一番の批判的思考力だが、むろん、相手の欠点を攻める趣旨ではない。

 問題を独創的な方法で解決すること、失敗を恐れず、そこから教訓を得ることと例示されている。

 この力を養うには学びを続ける姿勢が大切という。

 番組の講師、杉田敏さんはビジネスの経験が豊富だ。テキストは実感を踏まえたものに違いない。


・杉田さんは、大統領らを輩出したケネディ家の家訓「人生は公平と思うな」も引いている。

 理不尽な現実へのがまん強さ、挫折から立ち直る力もビジネスでは重要だ、と伝えたいのだろう。

 コロナ禍で就職・転職活動が思うに任せない人が増えていると聞く。

 ソフトスキルを磨くことで一筋、光が見えてくるかもしれない。


う~む、なるほど‥‥。

21世紀に求められるスキルとは、「批判的思考力」、「コミュニケーション力」、「協調性」という

「ソフトスキル」なのですね。

特に、「批判的思考力」を養うには「学び続ける姿勢が大切」という記述には、

大いに納得するところがありました。


このコラムを読んで、「就職活動でどの企業からも高い評価を受ける学生には

明らかに共通したスタンスがある」ことを、以前、この日記で紹介したことを思い出しました。

それは、「自立心」、「向上心」、「責任感」の三つが揃っていることでした。

こちらも、可視化や数量化が難しい「ソフトスキル」なのだと思います。