午前中、陽がかげる時間帯があったので、庭の草むしりをしたところ、20分も持ちませんでした。
気温はそれほど高くなくても、湿度が高かったのです。こういう気象条件も身体にダメージを与えます‥。
さて、昨日の続きです‥。
8月20日(木)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、いしいしんじさんの
「「ひと」という、いのちの容(い)れものもまた、
それぞれの時間のはて、いつかこの世で音もなく割れる。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『鉄針がレコード盤を擦(こす)り、その震えを箱で増幅させることで音楽を奏でる古いポータブルの蓄音器。
SPレコードの蒐集家でもある作家は、震えるその「器」を、文字どおり「身を削って」歌い、
やがて摩耗し死にゆく「ひと」の存在に擬(なぞら)える。
そんな「ふたつとない、ふぞろいのうつわ」として、一人一人がいると。「音をうつわに」から。』
「蓄音器」という「器」がなくても音楽が容易に手に入る現在、
「身を削って」歌う「ひと」が、身近に感じられなくなっているのかもしれません‥。
はて、「ふたつとない、ふぞろいのうつわ」として、いつかは「割れる」運命の「ひと」を、
生成AIやフィジカルAIは超えることができるのかしら‥‥?