しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

知るを楽しむ

昨日は、「文化講演会」(主催:松前松前史談会・松前総合文化センター)に、

そして今日は、「第44回松前町公民館研究大会・令和4年度松前生涯学習推進大会」

(主催:松前教育委員会)に参加しました。いずれも、松前総合文化センターで開催されたものです。


前者では、前園実知雄・奈良芸術短期大学特任教授の

律令国家前夜~遺跡から探る飛鳥時代の大変革」という演題の講演が、

また、後者では、金田一秀穂杏林大学名誉教授の

「心地よい日本語~日本一受けたい日本語授業」という演題の講演がありました。


まず、前園先生の講演については、

私は、厩戸皇子(うまやどのおうじ)が聖徳太子であることさえ忘却の彼方だったので、

講演の知的レベルに、なかなかついていくことができませんでした。

復習の意味も兼ねて、演題と同じタイトルの先生の著書を、ぜひ読んでみたいと思っています。


次に、金田一先生の講演については、次のような印象に残るお言葉がありました。

・図書館はイイですよ。使わない手はないと思う。

 例えば夏目漱石の言葉は最高の日本語とされているが、こうした本物の言葉が、図書館ではタダで読める。

松尾芭蕉は、「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだが、最後まで残ったものがある。それは言葉だ。

・本の良さは、「怒らないこと」と「やさしいこと」。本は読み手が分かるまで同じことを語ってくれる。

・私たち日本人は漢字を使用しているお陰で、何千年経っても孔子の言葉が理解できる。

孔子が語る不惑の「惑」は、心が勝手に境界線を作ることで、不惑はそれを取っ払うこと。(最近の研究)

老子が語る「大器晩成」は「大器免成」が正しくて、大器は死ぬまで未完成であること。(最近の研究)


はぃ、ということで、この二日間は「知るを楽しむ」ことを、十二分に体験することができました。

やはり、家に閉じこもってばかりではなく、まずは「外に出る」ことも大切なのだと実感した次第です‥‥。

読書は最高の自己投資

今日は、二十四節気立春」の節入り日で、

また、立春の初候は、「東風凍を解く(はるかぜこおりをとく)」となっています。

「春」という漢字一文字を聞くだけで、不思議なことに心まで軽くなります‥‥。


さて、今日の日経新聞「読書」欄の「リーダーの本棚」は、

レオス・キャピタルワークス会長兼社長の藤野英人さんでした。

藤野さんは、“「不条理」読む力への投資”というタイトルで、次のようなことを述べられていました。


『僕の仕事は投資ですが、最も成功する確率の高い投資は自己投資。中でも読書は確実なリターンを生む。

 大学などで教壇に立ったり、投資教育の場に呼ばれたりすることも多いですが、

 若い人には読書という最高の投資の力に気付いてもらいたいです。』


『これからの日本人に必要なのは『Dark Horse』的生き方。

 副題の「『好きなことだけで生きる人』が成功する時代」が到来します。

 自分の好き嫌いというマイクロモチベーションを大事にする

 若い起業家がどんどん現れれば日本企業も変わります。

 投資では資産を増やすだけでなく『DIE WITH ZERO』、死ぬまでに使い切る心構えも大事です。

 人生の目的は結局、経験や記憶を増やすことにこそある――。そう考える今日このごろです。』


う~む、なるほど‥‥。

「最も成功する確率の高い投資は自己投資」「人生の目的は結局、経験や記憶を増やすことにこそある」

ですか‥。いずれも「腹にすとんと落ちる」お言葉だと思いました。

そして、もう一つ印象に残ったのは、

これからは「好きなことだけで生きる人が成功する時代」が到来するというお話しでした。

私の娘や孫娘は、そんな「羨ましい時代」を生きていくのでしょうか‥‥?

生きることとしての哲学

『哲人たちの人生談義~ストア哲学をよむ』(國方 栄二著:岩波新書)を読了しました。


本書の「あとがき」での著者の次の記述を読むと、本書の執筆意図がよく理解できます。

『本書ではストア派の論理学や自然学についてはほとんどと言ってよいほど言及していない。

 むしろ、ローマのストア派を中心に、彼らの倫理思考とそれに関連する諸問題を取り扱っている。

 「人生談義」の表題をつけたのはそのためである。』


そして、本書の「終章」では、次のように述べられています。

『私たちが哲学書を読んで自慢できることは、その書物について理解できることではない。

 それはカント風に言えば、歴史的な知識として学んだだけのことである。

 哲学の知が科学的な知識と異なるとすれば、それは情報の伝達だけでは学べないということであろう。

 かといって、もちろんむずかしい顔をして、虚空を睨んでいてもなんにも心に浮かんでこない。

 古代の哲人たちは哲学を学ぶためにさまざまな道を示してくれている。

 かつて哲人たちが歩んだ道を歩んでいくのは、

 それに関する情報をあたえてくれる大学の哲学教師たちではない。

 むしろ、これを学ぼうという意志のある人自身なのである。』


ローマのストア派の哲人と言えば、セネカエピクテトスマルクス・アウレリウス‥。

その中でも、「運命をそのまま受容しつつ、その中で人はどのように生きるべきか」に関心があった

マルクス・アウレリウスの生き方(それはつまり「ストア哲学」)に、私は惹かれるものがあります。


ただ、しかし、「ストア派が理想とする賢者は、アパテイア(無情念)の域に達しているから、

たとえだれかにからかわれたり、侮辱されたりしても、それに対して怒りは感じないのであるが、

賢者に至る道程においては、怒りを含めたさまざまな情念を抑制しなければならない。」とも、

本書には書かれていました。


私はとうていこのような賢者の域に達することはできませんが、

これからも「生きることとしての哲学」を学ぼうとする意志は、持ち続けていたいと思っています‥‥。

「へそまがり」という「抑止力」

昨日の続きです‥。


1月28日(土)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、芥川喜好さんの

「へそまがりとは、世の側から見た「曲がり」であり、へそまがりの側から見れば世の側が曲がっている。」

という「ことば」で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『へそまがりは「世の曲がりに対して筋を通そうとする」から摩擦を生じ、偏屈者扱いされる。

 が、彼らは横一列のものの見方に同ぜずそれを脱臼させる真っ当な「抑止力」であり、

 世間を唸(うな)らせる「千両役者」にもなる。

 「へそまがり日本美術」展に刺激された文筆家は、畸人伝を繙(ひもと)きつつこう記す。

 随筆集「時の余白に続々」から。』


う~む、なるほど‥‥。「へそまがり」は「抑止力」ですか‥。

細君から見れば私は「へそまがり」かもしれないし、

私から見れば細君は、ほぼ間違いなく「へそまがり」のように思うし‥。

‥ということは、お互いがお互いの「抑止力」として働いているのかもしれません。

それはさておき、この「ことば」は、「メタ認知」の重要性についての指摘でもあると、私は理解しました。


追記

「私の折々のことばコンテスト2022」のサイトを閲覧しました。

中学部門の最優秀賞は、「たくさんの消しカスは努力の証しだね」という、国語の先生の「ことば」でした。

受賞した中学2年生は、この「ことば」のエピソードとして、次のようなことを書かれていました。

『‥‥それから私の中での消しカスの見方が変わった。

 現代社会はインターネットを多く使うが、

 手で書くことで、自分の努力が「努力の結晶」になって見えるのだと。』


心に響く「ことば」というのは、人それぞれの「人生の折々」にあることを、再認識した次第です。

「胸にしみわたる言葉」との出会い

気温が上昇して、この時期としては暖かい一日となりました。「春の予感」が漂っています‥。


さて、今日は町立図書館に行って、1月22(日)から1月28日(土)までの

朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。


この一週間で印象に残ったのは、1月22日(日)と1月28日(日)。

まず、1月22日(日)は、徳永進さんの

「「死語」という言葉が新鮮だった。言葉も死ぬんだ。」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


医学生の頃に心を撃たれた「ヴ・ナロード」(人民の中へ)という

 ロシアの社会改革運動の標語を編集者の前で口にしたら、死語だと一蹴されたとホスピス医は言う。

 言葉にも生き死にがあると知って心は逆に弾んだ。そして自分をここまで支えてきた言葉を探すと、

 以外にも、ずっと避けてきた「使命」(ミッション)なる言葉が蘇ったと。

 随想「死語の転生」(「野の花通信」第40号)から。』


う~む、なるほど‥‥。「言葉にも生き死にがある」ですか‥。

では、私にとって、「死語となった言葉」と、「これまで支えてきた言葉」って何なんだろう‥?

「使命」という言葉は、私にはすでに死語になってしまったかもしれません‥‥。


ところで、同じ日の一面コラム「天声人語」は、

中高生による「私の折々のことばコンテスト」に関連した内容でしたが、

コラムの最後には次のようなことが書かれていました。

『‥‥サイダーのように爽やかな一言でもいい。濃いコーヒーのように苦い一言でもいいい。

 胸にしみわたる言葉に、若者たちが会えますように。』


はぃ、かくいう私も、「胸にしみわたる言葉」との出会いを求めて、

ほぼ毎週のように町立図書館に通って、「折々のことば」をまとめ読みしているところです。

続きはまた明日にします‥‥。