しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

伝統は「平凡」な人から人へ

ここ数日、天気予報では「お天気マーク」なのに、すっきりとしない曇り空の日が続いています。

オミクロン株の感染拡大が続く、今の世相のように‥‥。


さて、今月23日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、G・K・チェスタトン

「われわれは死者を会議に招かねばならない。」という言葉で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『伝統とは「死者の民主主義」だと、英国の作家は言う。

 誰も「出生の偶然」によって権利を奪われてはならないとするのが民主主義だとすれば、

 誰も「死の偶然」によって権利を奪われないとするのが伝統である。

 伝統は「平凡」な人から人へ手渡されてきた。

 既に亡き人びとも、未生の人たちとともに、「輿論(よろん)」を紡ぐメンバーなのだ。

 「正統とは何か」(安西徹雄訳)から。』


う~む、なるほど‥‥。

「伝統とは「死者の民主主義」」、「伝統は「平凡」な人から人へ手渡されてきた」ですか‥。

未来が見通せない今こそ、私たちは「死者のお知恵」を拝借する必要があるのかもしれません。

「至高の名作」をようやく読了

久しぶりの読書感想文です‥‥。

長い時間をかけて、ようやく『カラマーゾフの兄弟(全5巻)』

ドストエフスキー著、亀山郁夫訳:光文社古典新訳文庫)を読み終えました。


数え切れないほどの印象深い記述の中から、あえて2つを選んで、この日記に書き残しておきます。

『‥‥何かよい思い出、とくに子ども時代の、両親といっしょに暮らした時代の思い出ほど、

 その後の一生にとって大切で、力強くて、健全で、有益なものはないのです。

 きみたちは、きみたちの教育についていろんな話を聞かされているはずですけど、

 子どもの時から大事にしてきたすばらしい神聖な思い出、もしかするとそれこそが、

 いちばんの教育なのかもしれません。

 自分たちが生きていくなかで、そうした思い出をたくさんあつめれば、人は一生、救われるのです。

 もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、

 いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです。』(カラマーゾフの兄弟5、P58)


『‥‥おまえには言っておくが、そういう残虐趣味が、女にはひそんでいるんだよ。

 おれたちが、なくちゃ生きられない天使みたいな女たちがみんなそうなんだ。

 いいか、アリョーシャ、ざっくばらんに言うぞ。どんなまともな男でも、

 結局は女の尻に敷かれて生きざるをえないってことだ。これがおれの信念なんだ。

 信念っていうんじゃなく、実感だな。

 男は、寛大じゃなくちゃいけない、かといってそれで、男の体面が汚されることにはならんのだよ。

 英雄にしたってそう、シーザーだってそう!しかし、だ、それでも謝っちゃいかん。

 ぜったいに、何がなんでも。この掟を覚えておけよ。兄貴のミーチャがじきじきに教えることだぞ。』

 (カラマーゾフの兄弟4、P238)


この全5巻の魅力は、「亀山先生の読みやすい訳文」、「登場人物のしおり付きという配慮」、

「それぞれの巻末の親切な読書ガイド」などなど盛りだくさんです。

特に、5巻の「ドストエフスキーの生涯」と「解題」を読めば、より一層理解が深るよう配慮されていて、

読者にとっては、とても有難い一冊になっています。


以前に読んだNHKテレビテキスト、亀山先生解説の100分de名著「カラマーゾフの兄弟」には、

『綴られる恋愛・欲望・信仰・黙過・使嗾、そして殺意。物語の背後にある「拝金主義」と「二枚舌」ーー。

 重層的な人間の深層を描き出すロシア文学の金字塔‥‥』との紹介文がありました。

今回、それらを十二分に堪能できたのではないかと思っています。

特に、「神は存在するのか」といった「信仰」について‥‥。

自信過剰にこそ危うさが

日経電子版のメールサービス【Editor's Choice】、「編集局長が振り返る今週の5本」を読んで、

米リスク調査会社のユーラシア・グループが、今年の世界の10大リスクのトップに挙げた、

「ゼロコロナ政策の失敗」の意味するところが、少し理解できたような気がしました。


『18世紀に活躍したフランスの哲学者、ヴォルテールが著した「カンディードまたは最善説」は、

 不幸という不幸をかき集めたような不思議な冒険小説です。

 現在のドイツにあるウェストファリア地方の領主のおいとして

 裕福な環境で育てられた主人公のカンディード

 ところが領主のまな娘のキュネゴンドにほれ込んでキスをしてしまったことから領主に激怒され、

 追放の憂き目に。以後、欧州から南米、そして再び欧州へと旅をし、

 行く先々でこれでもかとばかりに不幸に見舞われ続けます。

 この小説は17~18世紀のドイツの哲学・数学者、ライプニッツが唱えた

 「神義論」への反論として書かれたとされます。

 完全な存在であるはずの神が創ったこの世になぜこれほどの悪が存在するのか。

 古くからのそんな疑問に対し、ライプニッツ

 神が創った現実の世界はあらゆる世界の中で最善の世界であると主張しました。

 ヴォルテールの小説に登場するカンディードも家庭教師のパングロス

 「すべては最善の状態にある」と教えられ、それを信じ切っていました。

 ところが、放浪中のカンディードと再び出会ったパングロスはすっかり落ちぶれ、梅毒を患う身に。

 2人でたどり着いたリスボンで今度は大地震に巻き込まれます。

 それでもパングロスは「こうしたことはどれも最善である」と言い続けます。

 大地震を鎮めるためのいけにえとして捕らえられたパングロスが絞首刑に処せられるに至り、

 カンディードに疑念が生じ始めます。

 「これがありとあらゆる世界の中で最善の世界であるなら、ほかの世界はいったいどんなところだろう」と。

 波瀾(はらん)万丈の物語の紹介はこの辺で止めておきますが、

 ヴォルテールが言いたかったのは

 「完全ではないこの世界を完全と強弁するのはやめたほうがいい」ということだったのではないでしょうか。

 別の自著である「哲学辞典」でも彼はライプニッツにかみつき、

 「可能世界の中の最上世界という意見は慰めであるどころか、

 それを信じる哲学者にとっては絶望である」と主張しています。

 完全なはずの神が創った世界が完全ではないのに、不完全な人間が完全を追求することなど

 そもそも無理な話とヴォルテールなら言い捨てたかもしれません。

 「ゼロコロナ政策」にこだわる今の中国にはそんな危うさを感じざるをえません。‥‥』


う~む、なるほど‥‥。

徹底的な検査と厳しい都市封鎖で新型コロナウイルスの封じ込めに成功し、

ゼロコロナ政策の成功を大々的に宣言してしまった習政権と

今の中国社会にまん延する自信過剰にこそ危うさが潜んでいるのですね‥‥。


それにしても、「完全な存在であるはずの神が創ったこの世になぜこれほどの悪が存在するのか」

という問いかけは、いま読んでいる「カラマーゾフの兄弟」のイワンの言葉のようです。

「完全なはずの神が創った世界が完全ではないのに、

不完全な人間が完全を追求することなどそもそも無理な話」という厳然たる事実を、

しっかりと胸に刻んでおきます。

人生は自分で小説を書くのと同じ

毎回、読むのを楽しみにしている日経新聞「読書」欄の「リーダーの本棚」、

今回は、佐々江賢一郎日本国際問題研究所理事長でした。


佐々江理事長が取り上げられた愛読書11冊は、いずれも私が読んだことのない本ばかり‥。

でも、これが新たな発見と刺激となります。そうか、こんな本があったのかと‥‥。

このうちの何冊かは、ぜひ読んでみようと心に決めています。


そして、佐々江理事長は、次のようなことを述べられていました。

『私の読書作法は乱読、楽しんで読む、気まぐれ。若い頃の関心は人間を知る。

 徐々に世の中、世界を知る。後半は生きている意味について。この3つの間を常に行き来しています。』

『ありのままを受け止めていく。読書から物事を一面で見ないということを学びました。

 例えばあの正義とこの正義はどちらが真の正義かはそれぞれ主張があるけれど、

 往々にして力のある者が正義だったりするわけです。』

『人生は自分で小説を書くのと同じ。

 難しくつらい場面に出くわしてもそれを客観視し、これは小説の一ページにすぎないと思えば平気です。

 それはどんなに偉い人の前でも、どんなにミゼラブルな人の前でも

 同じような気持ちで人間として立てるかという問題で、立とうとするのです。』


う~む、なるほど‥‥。

「人生は自分で小説を書くのと同じ」ですか‥。けだし、名言だと思います。

読書には「摩訶不思議な力」があることを、改めて認識したた次第です。

短いけれど奥深し

夕刻、この寒さの中、外から近所の子供さん兄弟の遊ぶ声が聞こえてきました。

窓越しに様子を覗いてみると、一人は半ズボンでした。見ているこちらの方が凍えそうになりました。


さて、先日放映された、

NHKスペシャル『証言ドキュメント 永田町・権力の興亡 コロナ禍の首相交代劇』は、

未曽有のコロナ禍で繰り広げられた、権力闘争の舞台裏に迫ったもので、秀逸な番組だったと思います。

特に印象に残った政治家の先生方の発言をいくつか、番組HPから引用させていただきます。(肩書は当時)


二階俊博 自由民主党幹事長(安倍さんと麻生さんが、幹事長交代を菅総理に助言していたとの話を受けて)

 『感じていることはありません。鈍感ですからね。あわせて些事(さじ)構わずです。』


山口那津男 公明党代表(総裁選への立候補を断念した日の夕方、菅総理からの電話)

 『大変言葉少なく、落胆の様子が電話から伝わってまいりました。

  そのときに、ひと言述べられたのはですね、

  「ようやくなんとか間に合いました」という言葉だったんですね。

  それが何を意味するかは、いろいろ奥深い意味があるかもしれません。

  コロナ対応最優先でワクチンの接種をしっかり行ってきて、

  ようやく感染のピークを越えて下降線をたどり始めた、

  そういう意味が含まれていたと私は受けとめました。』


河野太郎 規制改革担当大臣

 『人間1から100まで全部考え方が同じ人は、同じ自由民主党所属の国会議員であってもいないわけです。

  けれども、派閥がどうですか、誰々との関係がどうですって、

  世の中からしてみれば「日本をどうするの」っていうのが、これから大事なのに、

  何でここしか話をしないの。僕はそういうのが駄目だと思って総裁選に手を挙げてるわけだから。』

 『人間関係がどうとか、派閥がどうとかというのは、終わった話ですから、

  それはどうでもいいんじゃないでしょうか。

  変えたくない人の声の方が大きくて、結局物事が変わりきれないまま、ずるずると坂を滑り落ちて、

  一方でゆでガエルのように、その状況に慣れていて、危機感を感じていないというのは、

  やっぱり非常に大きい問題だと思います。』


・辻󠄀元清美 立憲民主党衆議院議員

 『総裁選のワーッとお祭り騒ぎがあって、空気が変わったけど、そのまま軌道修正なかなかできなくて、

  政権交代という雰囲気で行っちゃったわけですね。

  私は国民の意識とのずれで、今回議席が伸びなかった一因だったかなって。

  自民党お家芸の総裁選という権力維持装置をギリギリのタイミングで発動したなと思いました。

  ああ、これが“ザ・自民党”やなと。』


「些事構わず」、「ようやくなんとか間に合いました」、「ゆでガエル」、「ザ・自民党」‥‥

短い言葉だけれど、それぞれに奥深いものがあります‥‥。

河野さんはいずれ総理総裁、辻元さんはいずれ国政復帰を果たされるのではないかと、番組を見て感じました。


この夏の参議院議員選挙とその後の政局も、コロナの動向に左右されるのでしょうね、きっと‥‥。