しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「エネルギーと帝国主義」を学ぶ

良く晴れ渡り、寒さが少し和らいだ一日となりました‥。


さて、3月5日(木)の朝日新聞オピニオン欄の「交論」は、「エネルギーと帝国主義」というテーマでした。

「米トランプ政権が帝国主義時代に戻ったかのように行動する世界をどう考えればいいのか」について、

国際政治学者の向山直祐さんと国際法学者の根岸陽太さんへインタビューした内容が掲載されていました。


お二人の先生の発言で特に印象に残ったのは、次のような内容でした。

まず、向山先生については、

・個人的に最も特異だと感じるのは、それがどこまで本当なのかは別にして、

 トランプ政権が「石油」という動機を、露骨に表明している点。

・実際には、石油というより、西半球に反米的な政権が存在しているのを嫌ったと言われているが、

 単なるモンロー主義的なものへの回帰にとどまらず、他国の主権を自国の利益のために平然と軽視する、

 新しい、そして極めて危うい段階に入ったといえる。

・植民地支配や二度の世界大戦といった負の歴史を80年かけて乗り越えてきた私たちが目指すべきは

 「自国の物語の絶対化」ではなく、自国を「相対化」する視点。

 他国の主権を尊重し、自国の行動や体制を「ディーセント(真っ当)」に保つこと。


次に、根岸先生については、

・国際法の存続自体が根底から危ぶまれる状況にある。

 国際法はいわば世界のルール、共通言語で、各国ともそれにのっとって行動している。

 大前提が失われかけている。

・今回の攻撃(イランへの攻撃)も、武力行使禁止原則に対する明白な国際法違反。

 国連安保理でも米国やイスラエルは自衛権を示唆したが、実際に個別の武力攻撃は受けておらず、

 自衛権による正当化は認められない。将来の攻撃を未然に防ぐ先制的、予防的な自衛権も

 国際法上許されない。

・高市早苗首相の国会発言で日中関係は悪化しているが、中国に法の支配を求めるならなおさら、

 米国の行動は認められないとはっきり言う必要がある。


う~む、なるほど‥‥。どちらの先生の発言も、至極「真っ当」な内容だと思います。

今回、私が感じたのは、国際政治学や国際法学のある程度の知識がなければ、

複雑怪奇な国際問題を理解するのはなかなか難しいのではないか、ということです。

それにしても、今の小・中学生は、米国の行動をどのように感じているのでしょう?

そして、学校の先生方は、日本の過去の歴史など踏まえて、子供たちにどのように教えているのでしょう?

ちょっと気になります‥‥。

郷土の偉人の「登壇」

強く冷たい北寄りの風が吹いて、とても寒い一日になりました‥。


さて、昨日の続きです‥。

3月6日(金)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、正岡子規の

「瓶(かめ)にさす 藤の花ぶさ みじかければ たゝみの上に とゞかざりけり」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『机の上の瓶より垂れる花房が短くて床に届かない、その景色を写生しただけの歌。

 ただ、病床に臥(ふ)す俳人は藤を下から眺めている。

 「今を盛りの有様(ありさま)」なる花の、届かないというその一事を緊張の時として愉しんでいるのか、

 何処かへ行き着く途上で生を中断せざるをえないであろう自身を花に重ねたのか。

 飾りのない描写だから想像が蠢(うごめ)く。「墨汁一滴」から。』


はぃ、郷土の偉人の、このコーナーへの「登壇」をうれしく思います。

正岡子規は生涯に2400首の短歌を詠んだとされているそうですが、今回の短歌はその中の一つ。

そのほかにも「くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる」などがあります。


私のお気に入りは、「真砂なす 数なき星の 其の中に 吾に向かひて 光る星あり」です。

ちなみに、芥川龍之介は『侏儒の言葉』(新潮文庫)のなかの「星」で、

「‥‥明滅する星の光りは我我と同じ感情を表しているようにも思われるのである。

この点でも詩人は何ものよりも先に高々と真理をうたい上げた。」として、

正岡子規のこの短歌を引用しています。ご参考までに‥‥。

「私を見ている一点」は「一種の虚点」

今日は蔵書点検が終了した町立図書館に久しぶりに行って、3月2日(月)から6日(金)までの

朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。

この期間で印象に残ったのは、二つの「ことば」でした。


まず、3月2日(月)は、中井久夫さんの

「私を見ている一点……これは……はたしてそれほど堅固な土台の上にあるのか。

 いや、それは一種の「虚点」ではないか」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『私の中にあって私を「微苦笑しながら」眺めるもう一人の私。

 哲学者なら「純粋自己」とでも言いそうだが、それは純粋であるどころか、

 むしろ酩酊(めいてい)したり、眠り込んだり、中毒にかかったり、

 しばしば不明になると精神科医は言う。それが透明な視線だというのは、人の自惚れでしかない。

 随想「私の死生観」(「隣の病い」所収)から。』


解説中の哲学者の「純粋自己」というのは、フッサールの「純粋自我」のことでしょうか?

「純粋自我」は、主にフッサールの現象学において、

意識体験の根底にある「私」という不変の主体を指す概念とされています。


それはともかく、私の場合は、中井さんご指摘のように「私を見ている一点」は「一種の虚点」、

堅固な土台というものはなく、いつもふらふらと「酩酊」しているように思います‥‥。

ちょっと心配です‥‥

「イランがホルムズ海峡を事実上封鎖し、その影響が日本をはじめ、世界に広がろうとしています。

この点に関し、日本におけるオイルショックの時のエネルギー事情と現在のエネルギー事情とでは

どのような相違点がありますか?日本が採るべき対策についても教えてください。」


今日はこのようにAIに尋ねてみました。

すると、1970年代(オイルショック時)と現在(2020年代)とでは、

主に次のような違いがあることが分かりました。


・石油備蓄量 45日分程度(当時は民間のみ) → 約200日分以上(国家・民間合計)

・石油依存度 一次エネルギーの約75% → 約36%(石油への過度な依存は低下)

・代替電源  原子力や石炭が未発達 → 再エネ、原子力、LNGなど分散化

・情報共有  IEA(国際エネルギー機関)未発足 → IEAによる国際的な融通・協力体制あり

・中東依存度 極めて高い → 原油に限れば約90%超と、むしろ上昇


そして、次のような貴重なアドバイスがありました。

『現在の日本は200日分以上の石油備蓄があるため、明日すぐにガソリンがなくなるわけではありません。

 パニックにならず、冷静な消費行動をとることが、社会全体の混乱を防ぐ最大の防衛策となります。』


はぃ、分かりました。

慌ててトイレットペーパーの買いだめをしないようにしたいと思います。

でもやっぱり、これからの社会経済情勢がちょっと心配です‥‥。

イランの「シーア派殉教精神」とかつての日本の「忠君愛国精神」

アメリカとイスラエルによるイランへの軍事攻撃に関連して、

今日の日経新聞電子版には次のような記事が掲載されていました。

『米国・イスラエル軍の攻撃に対しイランが徹底抗戦の構えをみせている。

 聖職者や革命防衛隊幹部、兵士の捨て身にも映る行動には、

 イスラム教シーア派特有の殉教思想が影響をおよぼしている。

 紛争の激化と長期化を招く要因になっている可能性がある。‥‥』


イランの革命防衛隊が「最高指導者の意志」を体現する形で、

妥協を許さない強硬路線を突き進もうとしていることに、「かつての日本」を想起するものがありました。

先の大戦で日本が「本土決戦」を唱えた際、帝国陸軍が神格化された天皇の権威を盾に

徹底抗戦を主張したことに、あまりにも類似しているように思えたからです。


イランの「シーア派殉教精神」とかつての日本の「忠君愛国精神」‥。

「戦争に勝者はいない、いるのは敗者だけだ」という言葉があります。

過去の戦争から学んで、これ以上事態が泥沼化しないことを願うばかりです‥‥。