今日は町立図書館に行って、7月14日(日)から20日(土)までの
朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。
この一週間で印象に残ったのは、二つの「ことば」でした。
まず、7月14日(日)は、渡辺浩さんの
「「自分らしく」生きるより、「人らしく」生きることこそが大事ではないか。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『朱子学の修養論の要諦(ようてい)の一つはここにあったと、政治思想史家は言う。
物事にはそれぞれの「あるべき在り方」、つまり「理」がある。
人もまた、人としての本性に還(かえ)るべく努めねばならない。
この場合「理」とは人の共存を可能にする「公」、つまり「自分の、自分だけの、
そして自分さえよければ、というのではないこと」を謂うと。「日本政治思想史17~19世紀」から。』
なるほど、「「自分らしく」生きるより、「人らしく」生きること」ですか‥。
このことが「朱子学の修養論の要諦の一つ」とは思いも寄りませんでした。
そして、先日に単位認定試験を受けたばかりの放送大学『原典で読む日本の思想』の印刷教材には、
次のようなことが書かれていたことを思い出しました。
『林羅山(江戸時代の朱子学者)は、「存心持敬(そんしんじけい)」の修養によって「人欲」を去り、
人間が本来具えている「本然の性」、さらには「天理」に回帰し、
「上下定分の理」に従って生きることを説き、‥‥(以下略)』
また、ソクラテスの「ただ生きるということではなく、善く生きることこそ最も大切にしなければならない」
という「ことば」も思い出しました。古今東西の思想には、似通った点があるのですね‥‥。