『テロルの決算』(沢木耕太郎著:文春文庫)を読了しました。
1979年に大宅壮一ノンフィクション賞を受けたという本書を購読した動機は、
日経新聞「NIKKEI STYLE」の「名作コンシェルジュ」で、ジャーナリストの武田徹さんが、
次のように「傑作」として紹介されていたからです。
『‥‥それ(危機の宰相)に続く第二作となる本書の特徴は米国で注目を集めていた
「ニュージャーナリズム」の手法を採用したこと。
ニュージャーナリズムは徹底した調査と取材を経たうえで、
事件や出来事を読者の眼前で起きたかのように再現し、ノンフィクションを一篇の物語作品のように描く。
「テロルの決算」でも浅沼(稲次郎)と山口(二矢)は、細部まで描き込まれたシーンの中で、
小説に登場する三人称の「キャラクター」のように生き生きと振る舞う。
冒頭の衝撃的なシーンを大団円できっちりと受け止める物語構成も巧みだ。』
この言葉どおり、あたかも自分が、事件の現場である日比谷公会堂に居合わせたような、
そんな錯覚に陥りそうなほどの、緊迫感がある描写でした。
そのほか、本書の魅力は、浅沼稲次郎・社会党委員長と山口二矢・元右翼団体員の、
生きざまやその思想が丁寧に描かれている点にあるように私には思えました。例えば、次のような‥‥。
『人間本然の姿は人間と人間が争う姿ではないと思います。階級と階級が争う姿ではないと思います。
また民族と民族が争って血を流すことでもないと思います。
人間はこれらの問題を一日も早く解決して、
一切の力を動員して大自然と闘争するところに人間本来の姿があると思うのであります。
この闘いは社会主義の実行なくしてはおこないえません。』(浅沼稲次郎)
『私の人生観は大義に生きることです。人間必ずや死というものが訪れるものであります。
その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、
たとえ富や権力を得なくても、自分の信念に基づいて生きてきた人生である方が、
より有意義であると信じています。
自分の信念に基づいて行った行動が、たとえ現在の社会で受け入れられないものでも、
またいかに罰せられようとも、私は悩むところも恥じるところもないと存じます。』(山口二矢)
61歳の野党政治家と17歳のテロリスト‥‥。
歴史に「もしも」はありませんが、「主義主張」と「大義」に生きた二人が、
もし1960年10月12日の事件現場で「交錯」しなかったとしたら、
その後の日本はどのようになっていたのでしょう‥‥?
時に戦慄を覚え、時に涙した本書は、私にとって、忘れ難い一冊となりました。