しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

家計簿のイメージ

今日の日経新聞電子版に、

『家計簿は未来を明るくする~ネガティブイメージ間違い』

という記事が掲載されていました。

そこには、次のようなことが書かれていました。

 

『最初にまずマネーハックしてみたいのは家計簿のイメージです。

 おそらく、ほとんどの人の家計簿のイメージはネガティブなものだと思います。

 思いつくままにあげても「ガマン」「反省」「苦痛」「苦労」「失望」

 といったイメージではないかと思います。

 昔の映画やドラマでは、暗い電球の下、

 質素なテーブルのうえで家計簿を記帳しているというシーンがよく登場しました。

 数字が合わずに小銭を何度も数え直したり、財布を何度も確認したりして、

 最後はため息をつく(このままでは赤字になるので)という演出もされていました。

 やっぱり家計簿にはマイナスイメージがつきまといます。 

 家計のやりくりに余裕があるときではなく、

 余裕のないときにこそ家計簿をつけようとしますから、

 なおさら家計簿のイメージは暗いものになってしまいます。』

 

この記事を読んで、母のことを思い出しました。

私の母は、亡くなる直前まで家計簿をつけていました。

そのイメージは、記事のような「ガマン」とか「苦労」というものです。

 

私は、幼稚園の年長から中学二年生の途中まで、

大阪府茨木市滋賀県大津市に、両親と弟の四人家族で住んでいました。

愛媛の実家には、私の曾祖母と祖母の二人が残っていて、

母は、父の給料だけでは大変だったのか、

細々と内職をしながら、実家に仕送りをしていました。

そこには、家計簿を見ながらため息をつく母の姿がありました。

 

今、この年になって振り返っても、

母はよく家計のやり繰りをしたものだと感心します。

そして、母は、家計簿をつけると同時に、

同じページの右隣にある日記も毎日必ずつけていました。

その家計簿は数十年間分もありますが、

今も処分することなく、父の部屋の押し入れに保管しています。

 

母が亡くなってから、今年で20年になります。

もうそろそろ、懐かしい思い出を辿るように、

家計簿に書かれた日記を読んでみたいと思う一方、

その内容に触れるのを怖がっている、もう一人の自分がいます。

母の家計簿は、誰が、いつ、処分する日がくるのでしょう?

それができるのは、いや、その責にあるのは、父ではなく、私のような気がします。