今日の日経新聞電子版に、
『家計簿は未来を明るくする~ネガティブイメージ間違い』
という記事が掲載されていました。
そこには、次のようなことが書かれていました。
『最初にまずマネーハックしてみたいのは家計簿のイメージです。
おそらく、ほとんどの人の家計簿のイメージはネガティブなものだと思います。
思いつくままにあげても「ガマン」「反省」「苦痛」「苦労」「失望」
といったイメージではないかと思います。
昔の映画やドラマでは、暗い電球の下、
質素なテーブルのうえで家計簿を記帳しているというシーンがよく登場しました。
数字が合わずに小銭を何度も数え直したり、財布を何度も確認したりして、
最後はため息をつく(このままでは赤字になるので)という演出もされていました。
やっぱり家計簿にはマイナスイメージがつきまといます。
家計のやりくりに余裕があるときではなく、
余裕のないときにこそ家計簿をつけようとしますから、
なおさら家計簿のイメージは暗いものになってしまいます。』
この記事を読んで、母のことを思い出しました。
私の母は、亡くなる直前まで家計簿をつけていました。
そのイメージは、記事のような「ガマン」とか「苦労」というものです。
私は、幼稚園の年長から中学二年生の途中まで、
大阪府茨木市と滋賀県大津市に、両親と弟の四人家族で住んでいました。
愛媛の実家には、私の曾祖母と祖母の二人が残っていて、
母は、父の給料だけでは大変だったのか、
細々と内職をしながら、実家に仕送りをしていました。
そこには、家計簿を見ながらため息をつく母の姿がありました。
今、この年になって振り返っても、
母はよく家計のやり繰りをしたものだと感心します。
そして、母は、家計簿をつけると同時に、
同じページの右隣にある日記も毎日必ずつけていました。
その家計簿は数十年間分もありますが、
今も処分することなく、父の部屋の押し入れに保管しています。
母が亡くなってから、今年で20年になります。
もうそろそろ、懐かしい思い出を辿るように、
家計簿に書かれた日記を読んでみたいと思う一方、
その内容に触れるのを怖がっている、もう一人の自分がいます。
母の家計簿は、誰が、いつ、処分する日がくるのでしょう?
それができるのは、いや、その責にあるのは、父ではなく、私のような気がします。