しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

重い判決

21日(火)の新聞各紙は、山口県光市母子殺人事件について、
最高裁判所が上告を棄却し、元少年の死刑が確定したことを、一面で報道していました。

20日(月)の最高裁判決は、次のように述べています。
『犯行の罪質は甚だ悪質であり、
 動機及び経緯に酌量すべき点は全く認められない。
 強姦及び殺人の強固な犯意の下で、
 なんら落ち度のない被害者らの尊厳を踏みにじり、生命を奪い去った犯行は、
 冷酷、残虐にして非人間的な所業であるといわざるを得ず、その結果も極めて重大である。』

犯行の罪質については、
特に、生後11ヵ月の子どもを殺害した事案が悪質で、
犯行の状況を詳しく記述している平成18年6月20日の最高裁の破棄差し戻し判決は、
「涙と怒り」なしにはとても読むことができません。
『〜(中略)〜被告人は、この間、
 被害児が被害者(母親)にすがりつくようにして激しく泣き続けていたことを
 意にも介しなかったばかりか、上記犯行後(母親を殺害後、姦淫)、
 泣き声から犯行が発覚することを恐れ、
 殺意をもって、被害児を持ち上げて床にたたき付けるなどした上、
 なおも泣きながら母親の遺体にはい寄ろうとする被害児の首に
 所携のひもを巻いて締め付け、被害児をも殺害したものである。』

・犯行当時、元少年は18歳になったばかりであったこと
・父親の家庭内暴力にさらされたり、
 母親を中学時代に自殺で亡くしたりするなど家庭環境も不遇だったこと
など同情すべき点があったことを最大限考慮しても、
とても人間がすることではない、このむごたらしい殺害の状況を知れば、
普通の人間であれば、「死刑は当然」という気持ちになるのではないでしょうか?

特に、今の私には、ちょうど9ヶ月になろうとする孫娘がいるだけに、
とても他人事とは思えず、
遺族の被害感情がしゅん烈を極め、被告人に対して極刑を望んできた心情は、
裁判官と同様、十分理解することができているつもりです。

今回のような事件が、今後、仮に起こったとすれば、裁判員が裁くことになります。
死刑制度を存置する現行法制の下では、
死刑を選択するほかはないケースも必ず出てくるのではないかと思います。

その時、一体何が死刑を選択する、あるいは死刑を回避する判断基準になるのでしょうか?
私がもしその時、裁判員であったとしたら、「社会的正義」を貫ける自信はありません。
それともその時には、私にも「神の啓示」があるのでしょうか?