今日の日曜日は出勤でした。
明日20日に、重要な会議が予定されているので、その準備のために出勤しました。
夜明け前に沛然と雨が降っていて、ちょっと気持ちが落ち込みましたが、
バイクにスタートの鍵をかける頃には小降りとなっていました。
『人工知能雑感』という随想を寄稿されていました。
人工知能と人間の将来像について、示唆に富む記述がありましたので、
少々長くなりますが、該当箇所をこの日記に書き残しておきます。
『産業革命と情報革命を経て、人間は労働と思考を機械に委ね、
楽をした分だけ退化した。元々備わっていた身体能力も思考能力も劣化し、
健康問題を抱えながらも、長生きだけはするようになった。
いかに労働集約型から労働節約型の社会を実現するか
という目標の最終ゴールが人工知能である。
だが、雑事や面倒な仕事から開放されてみんなハッピーになれるという
ユートピア論的な未来予測というのは、たいてい外れる。
人は働いている時は、遊んで暮らすことへの憧れを募らせるが、
リタイアした人はすぐ気づく。やるべき仕事がないということが、
いかに人生の希望や輝きを失わせるかを。
人間界ではわりとヘタレや敗者も生き延びてこられたのだが、
人工知能が進化論の原則をよりシビアになぞるとしたら、
文字通り血も涙もない淘汰を行うだろう。
人間だけが持っていると思われていた創造性も、
人工知能によって代行されるとなれば、我々は学問をする理由もなくなる。
そもそも学問の修得は、奴隷状態からの解放が一番の目標だった。
長い年月をかけ、哲学的、科学的に考察して来た人間の条件も大きく変わる。
人間は人工知能に使役され、寄生する奴隷か、
動物園の動物のようになってゆくと思われる。』
う~む、今や「人工知能」が囲碁や将棋のプロに勝利する時代です。
「すごい時代が来たものだ…」と、ただ単にそれだけの感覚でしたが、
「人間が人工知能の奴隷になる」とか、「動物園の動物のようになる」という、
島田さんの鋭い文章を読んで、
SFの世界が現実になりそうで、にわかに危機感が湧いてきました。
そして、島田さんの随想の最後は、
『人工知能が世界を支配する前に「人間らしさ」を再考すべきかと思う。』
という文章でした。
「人間らしさの再考」とは一体どういうことなのか……?
改めて問われても、即答できない自分がいます……。