先日のこの日記で、
時間に関する「クロノス」と「カイロス」のことを書きました。
これと似たような感じで、政治が決めるべき「法」には、
「ノモス」と「テシス」があることを知りました。
今日20日の日経新聞「経済教室」は、小林慶一郎・慶応大学教授の
『財政論議20年で振り出しに~政治システムの変革必要』という論考で、
そのなかに次のようなことが書かれていたのです。
『晩年の大著「法と立法と自由」(73年)などの中でハイエクは、
政治が決めるべき「法」には2種類あると指摘している。
権力者も庶民も含めて万人がしたがうべき正義の一般法則(規範=ノモス)と
補助金や公共事業など政府の持つ資源の配分の決定(指令=テシス)である。
財政規律、消費税など税のあり方、財政全体の規模などは
規範(ノモス)の領域に属するとされる。
ノモスとテシスを同じ人々(国会)が決めるから
現代民主主義はうまく機能しないとハイエクは主張した。
例えば、正義の一般法則であるノモスを決める人々(国会議員)には
利益誘導の誘惑はあり得ないから、
かれらに万能の権限を与えることは理にかなっている。
だが、公共事業の箇所付けなどのテシスを決める人々(これも国会議員)は
利益誘導の誘惑にさらされる。
テシスを決める人々の権限には制限を設けないと、政治は腐敗する。
衆議院がテシスを決めるように役割を分けることを主張した。
財政規模や消費税などを決める参議院と、
相互けん制によって国家債務の膨張を防ぐのである。』
う~む、なるほど……。
経済学者のフリードリヒ・ハイエクは、こんなことも考えていたのですね。
日本においても、ハイエクがいうような政治改革が必要なのかもしれませんが、
そのような抜本的改革は憲法改正が必要になると、小林教授は述べられていました。
さらに、小林教授の『消費税増税延期に象徴されるような
「世代を越えたコストの先送り」は、
産業社会に過去100年あまりで出現した新しい問題である。』との文章を読むと、
戦争を想起する憲法改正に一律に反対するだけでなく、
新しい問題の解決のためには、「財政の健全性の確保」の憲法への明記など
改憲の具体の中身について議論すべきではないか、と思うようになりました。