昨日の続きです‥。
4月16日(火)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、高田純次さんの
「ガラス窓を伝う雨の滴を指でなぞっている内に一日が終わったよ。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『おちゃらけ、大法螺(おおぼら)、お調子者。
喜寿を迎えても「普段から、9割5分嘘(うそ)だから」とタレントは惚(とぼ)けるが、
行間に切ない思いが零(こぼ)れもする。
冬の青空がなんか美しすぎて、見上げていたら涙が頬を伝わってたとも。
横になればよだれで枕を濡らす。滴りを愛おしみ、何かにつけ「辛抱たまらず」漏らしてしまう人生。
ま、「人生そこそこ」か、とも。「最後の適当日記(仮)」から。』
「横になればよだれで枕を濡らす」「何かにつけ辛抱たまらず漏らしてしまう」
あぁ‥、これはまるで私のことではありませんか‥。
老いを達観視している高田さんのように、私もいつか「人生そこそこ」の境地に達してみたいです‥‥。