しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

人生はつねに詩の一篇

今朝、氏神神社を清掃していると、参拝する年配の女性をお見掛けしました。

その方は拝殿に向かい、かれこれ長い時間、真剣な顔をして手を合わされていました。

お孫さんの合格祈願でしょうか、それともご家族に病気の方がいらっしゃるのでしょうか‥。

いずれにしても、その願いが叶いますよう、お祈りします‥‥。


さて、今日は町立図書館に行って、2月4日(日)から10日(土)までの

朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。


この一週間で印象に残ったのは、三つの「ことば」でした。

まず、2月4日(日)は、平川克美さんの

「人生の中で/誰もが一度だけ詩人になると/聞いたことがあった/

生まれてくるこどもの名前を考えるときである」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『今まさに生まれ出ようとしているものに、幸あれと祈りつつ名を与える。

 それこそ詩の本質ではないかと、文筆家・「隣町珈琲(カフェ)」店主は言う。

 詩とは己の過去や現在を「新しい体験として体験」すること。

 「だれも言葉を贈られて/この世の中に生まれてくる」からには、人生はつねに詩の一篇でありうる。

 「ひとが詩人になるとき」から。』


さだまさしさんの曲に、私の好きな「歳時記(ダイアリー)」という名曲があります。

その二番の歌詞は、次のような内容です。

♬ 花の名前をきかず買ったくせに 勝手に自分でかすみ草と決めつけたね

  早く咲いてと毎朝祈って 水を過ごして枯らしそうになって 眠らず一人看病してたよね

  無事だった朝涙ぐんで すてきな水色に君は笑った 

  そんなちひろの子どもの絵のような 君の笑顔がとても好きだった


この歌詞に登場する、いわさきちひろさんの子どもの絵のように、

「すてきな水色」というか、素直で優しい人間として成長してくれたらいいなと願って、

娘には「ちひろ」という名前を付けました。

ただ、ひらがなの「ちひろ」は字数が悪いと私の母に反対され、結局、漢字の「千尋」に落ち着きました。


今回の「ことば」とその解説を読んで、そんなことを懐かしく思い出した次第です‥‥。