しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

梅雨明けの日の雑感

気象庁が今日、四国地方の梅雨明けを発表しました。

発表によると今年の梅雨明けは、四国地方では平年より6日遅く、去年より15日遅いとのことでした。

ただ、四国地方は梅雨入りが遅かったので、梅雨の期間としては平年並みなのかもしれません。

夏本番のこれからは、去年のような猛暑にならないことを祈りたいと思います。


さて、今日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、韓国の詩人・尹東柱(ユンドンジュ)さんの

『悲しむ者はさいわいである‥‥だから 僕らは永遠に悲しむのだろう。』という言葉で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『旧満州に生まれ、日本に留学し、27歳で獄死した朝鮮の詩人。

 「悲しむ者はさいわいである」という新約聖書「マタイ伝」の一節を8度くり返した後、

 「だから」と続けた。題して「八福 マタイ福音五章三―十二」。

 どんな深い悲しみも、それに理由があると知れば救われはする。

 たとえそれを境にとこしえの慰めを得るとはゆかずとも。

 詩集「空と風と星と詩」(上野都訳)から。』


う~む、なるほど‥‥。

「どんな深い悲しみも、それに理由があると知れば救われはする。」ですか‥‥。

この言葉と解説を一読して、不思議と心に響くものがあり、

この日記に書き残しておくことにしました。


そういえば日韓関係は、最近きわめてギクシャクして、

私個人の感情としても、一連の韓国政府の言動は理解不能で、到底受け入れ難いものがあるけれど、

個々の人間としての、心の奥底から発せらた言葉というものは、

国家や民族、宗教などを超越するものがあるのかもしれない‥‥、

今日のコラムを読んで、そんな思いを持った次第です。