一昨日25日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、宮沢賢治のあまりにも有名な
『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』という言葉で、
いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。
『詩人の「農民芸術概論綱要」から。人は自己のみならず他者の不幸をも悲しむ。
他人のみならず他の生き物、さらに宇宙の苦しみをも苦しむ、
つまり共感(シンパシー)が〈人〉の本性であるかぎり、「世界」が幸福でなければ自分も幸福でない。
そういえば演劇家・歌人の寺山修司も『幸福論』に、とある接客業の女性の言葉を書き入れた。
「ひとりで幸福になろうとしても、それは無理よ」』
う~む‥‥。鷲田さんの解説で、宮沢賢治の言葉が、さらに重みを増すように感じます。
ただ、世界との関係からすると、個人の幸福は未来永劫訪れないような、そんな諦観に陥りそうです。
ところで、寺山修司さんの名前が登場したので、
書棚から『寺山修司少女詩集』(角川文庫)を取り出して、パラパラとページをめくっていると、
「ぼくが男の子だった頃」の『肩』という詩に目が留まりました。
『肩は男の丘である その彼方には過去の異郷がある
肩は男の防波堤である いくたびも人生に船を見送った
肩は男の翼である ひろげてももう飛ぶことができない
肩は男の詩である さびしいときにも定型を保っている ~ (以下、略) ~ 』
先日の高校の同期会で、幾多の試練を乗り越えてきた友の横顔を見てきた後だけに、
今はなぜか、いつもより増して、この詩がぐっと心に響きます‥‥。

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