旧聞に属する話になりましたが、
先月29日の朝日新聞「天声人語」と読売新聞「編集手帳」は、
どちらも元セゾングループ代表の堤清二さんの訃報を悼むコラムでした。
堤清二さんは、「辻井喬」の名前を持つ詩人・作家でもあり、
私も、故・大平正芳元総理の生涯を描いた「茜色の空」を読んだことがあります。
今の今まで気がつきませんでしたが、
先ほどのコラムには、期せずして、辻井喬さんの同じ詩の一部が引用されていました。
『経営者として挫折を経験したが、
詩人で作家の辻井喬としては多くの著作を残し、健筆を貫いた。
〈思索せよ/旅に出よ/ただ一人〉。
回想録の最後に掲げられた短い詩の一節が、旅立ちに似合う。』
次に、読売新聞「編集手帳」は、
『辻井喬に「新年の手紙」という詩がある。
〈もの總(すべ)て/変わりゆく/音もなく
思索せよ/旅に出よ/ただ一人
鈴あらば/鈴鳴らせ/りん凛と〉。
天国もあれば地獄もあった経営に、その起伏をも砥石として磨かれた詩業に、
二つの鈴を“りん凛”と鳴らし続けた異能の人である。』
どちらのコラムの出来栄えが良かったとか、
そんな野暮なことは言いませんし、
また、コラムの出来栄えを評価する能力も、そもそも持ち合わせていません。
ただただ、両コラムニストの素養の広さと深さに驚嘆しています。
一体どうすれば「素養という抽斗(ひきだし)」に、
言葉を入れて、大切に保存し、必要な時に取り出すことができるのか…。
竹内政明さんには、
『「編集手帳」の文章術』(文春新書)という著作があって、
私も時々、ページをめくっていますが、
ページをめくっただけでは、「読み書き能力」が向上するはずがありません。
負け惜しみですが、「スキル」よりも「センス」のような気がします…。