しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

歴史の証言となる文章

『百年の手紙〜日本人が遺したことば』(梯久美子著:岩波新書)を読了しました

所どころ、涙無くしては読むことができませんでした。
この本には、二十世紀の百年間に日本人が書いた
百通余りの手紙が取り上げられていますが、
そのなかでも、私が感動した「言葉」や「文章」は次の4つです。

 ①尾崎秀美から娘楊子へ
 『学問は人を幸福にはしないかもしれませんが、人としてどうしても必要なものです。』

 ②小泉信三から長男信吉へ
 『君の出征に臨んで言って置く。
  君をわが子とすることを何よりの誇りとしている。
  僕は若し生まれ替って妻を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。
  
  同様に、若しわが子を択ぶということが出来るものなら、
  吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない。
 
  君はなお父母に孝養を尽くしたいと思っているかも知れないが、
  吾々夫婦は、今日までの二十四年の間に、
  凡そ人の親として享け得る限りの幸福は既に享けた。
  
  親に対し、妹に対し、なお仕残したことがあると思ってはならぬ。
  今日特にこのことを君に言って置く。』

 ③新実南吉から安城高等女学校の元教え子へ
 『たとい僕の肉体はほろびても、
  君たち少数の人が(いくら少数にしろ)僕のことをながく憶えていて、
  美しいものを愛する心を育てて行ってくれるなら、
  僕は君たちのその心に、いつまでも生きているのです。』

 ④山本幡男から子どもたちへ
 『君達はどんなに辛い日があろうとも、人類の文化創造に参加し、
  人類の幸福を増進するという進歩的な思想を忘れてはならぬ。
  偏頗で矯激な思想に迷ってはならぬ。
  
  どこまでも真面目な、人道に基づく自由、博愛、幸福、正義の道を進んで呉れ。
  最後に勝つものは道義であり、誠であり、まごころである。』

そのほか、第一次近衛内閣で外務大臣を務めた宇垣一成が、
近衛文麿を評した次の言葉も印象に残っています。

『聡明で気持ちよいが、知恵が余って胆力と決断力がなかった。
 知恵は人から借りられるが、度胸は人から借りられない』

なお、著者はこの本の「あとがき」で、
「手紙は個人の心情を綴るものでありながら、
 書かれた時代を鏡のように映し出す。
 もっともプライベートな文章が、激動の時代にあっては、
 貴重な歴史の証言となるのである。」

「言葉」や「文章」を、
「書き物」として残しておく「意義」や「価値」について、
改めて考えさせられた本でした。

百年の手紙――日本人が遺したことば (岩波新書)

百年の手紙――日本人が遺したことば (岩波新書)