Kちゃん、昨日はコメントありがとうございました。
舛添東京都知事がとうとう辞表を提出されましたね。
でも、どうして「政治とカネ」の問題は、同じことが繰り返されるのでしょう…?
日経新聞電子版を読むと、「知事個人の評価とは別に、
舛添都政のこの2年余りは及第点をつけられるだろう。」と書かれていました。
及第点を付けられる理由として、
・非正規社員の正社員化へ国を上回る対策を打ち出し、
障害者雇用にも力を入れたこと
・巨額に膨らんだ五輪施設の建設費も圧縮し、
水素社会の実現や国際金融センター構想も進めていること
他行との経営統合という形でケリを付けたこと
などが挙げられていて、
結論として、「舛添都政はバランスが取れている。」と評価されています。
「知事」といえば、我が町の出身、白石春樹・元愛媛県知事は、
「権腐十年」が座右の銘でした。
「いかに立派な人間でも、権力の座に十年以上いると、
その権力は腐敗し始める」という意味だったと記憶しています。
舛添知事は知事になってから、確か、まだ2年と4か月でしたっけ…?
「権腐十年」ではなく「権腐二年」……。
腐敗するにはちょっと「早すぎた退任劇」のような気がします。
今日は帰宅後に、深代惇郎さんの「天声人語」を久しぶりにめくってみました。
すると、昭和49年11月16日のコラムに、次のようなことが書かれていました。
『言葉をあやつったニクソンは、最後は言葉にやぶれてしまった。
その答弁に国民はあき、やがては決定的な不信を抱いた。』
う~む……。(絶句)
ひょっとしたら、政治家が国民から不信を抱かれる要因は、
古今東西を通じて、不変なのかもしれません。