雲がほとんどなく、よく晴れた一日となりました。
「エミフルMASAKI」の2階からは、
遠く久万高原町方面に見える山々が、雪に覆われているのが確認できます。
さて今日は、中規模改修工事が終わった町立図書館に行って、
1月6日(月)から1月10日(金)までの朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、
まとめ読みしてきました。なお「折々のことば」は、毎週土曜・日曜は休載となりました。
なので、「天声人語」にも比重を移すことにします‥。
この期間で印象に残ったのは、1月9日(木)川田順造さんの
「光は、はてしない闇のなかに湧いて、ちぎれたり、合わさったり、消えたりする、
気泡のようなものでしかない」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『サヴァンナでは陽(ひ)が落ちると、あたりの物が輪郭を失いはじめ、
すべてが「なまあたたかい波動」に包まれる。そのとき闇は光の欠如ではなく、
光が「闇のまたたき」だということがありありと感知されると、アフリカ滞在中の文化人類学者は記す。
人の眠りや死も、つまるところ「個をこえた連続への復帰」なのだと。「曠野(こうや)から」より。』
う~む、「光が気泡」「光が闇のまたたき」って、どんな感覚なんだろう?
井上陽水さんには「瞬き」という名曲があるけど‥。
人の眠りや死も、つまるところ「個をこえた連続への復帰」という表現は、
言葉の雰囲気から、なんとなく分かるような気がします‥‥。