しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

風雲急を告げる

台風18号が残した深い爪痕の報道に気を取られているうちに、

いつの間にか衆議院が解散されることが確実になったようで、

どうやらその投開票日は10月22日が有力視されているようです。

昨日20日の日経新聞一面コラム「春秋」にも、次のように書かれていました。


『台風18号に張り合うかのような、突然の解散風である。またたく間に列島を駆け抜けた。

 来月22日の投開票とされ「受けて立つ」とか「大義がない」など野党も声高だ。

 政界の秋の陣は風雲急を告げている。

 「バカヤロー」やら「黒い霧」にならって、通称を考えたい。』


う~む、なるほど‥‥。マスコミ的には、分かりやすい通称をつけたくなるものなのですね。

ちなみに、先ほどのコラムに登場する通称とその理由はというと、

・「モリカケ解散」

 疑惑を封じるのが目的か。臨時国会で追及され、政権の体力を落とさぬため。

・「敵失解散」

 野党第1党の民進党がフラついているうちにという思惑からか。

・「とっちらかし解散」

 政権の政策は「アベノミクス」から「人づくり革命」まで

 何かやっている感じを出しつつ、まとまりに欠ける面もある。


そして、コラムの記述は次のように続きます。

『いずれにせよ、決断は北朝鮮の核やミサイルによる挑発への対応で、

 支持率がジワリ上昇した機をとらえたふうだ。

 野党の共闘や新党など準備が整わない様子も見透かしていよう。

 危機をもバネにするかのような、軍師のごとき首相の勘に驚く。

 しかし「なぜ信を問うか」との疑問には答えず、外遊の途についてしまった。』


はぃ‥‥、さすがというか、どの通称もコラムニストのセンスを感じます。

なお、今月17日の「溜池通信・不規則発言」http://tameike.net/では、

「かんべえ」さんが、今回の解散を「今のうち解散」と命名されていました。

その心はというと、

『普通に考えれば、「北朝鮮情勢が不穏な中で、政治空白を作ってはならない」と考えるところ。

 でも、アメリカの軍事オプションがあるとしたら、

 いや、それ以上に米中共同作戦があるとしたら、それは年末以降のことになるだろう。

 だったら今のうちに解散・総選挙を済ませておけば、後の政治日程が楽になる。

 こういう考え方があるのかもしれませんな。』


そうですね‥‥。

私個人としては、「かんべえ」さんの「今のうち解散」という通称がお気に入りです。

皆さんはどうでしょう??

〇も✕もない

今日20日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、能芸評論家・戸井田道三さんの

『わたしには「生きがいを求める」というのがどうもうさんくさい気がします。

 生命を軽んずる心がかくされているからです。』という言葉で、

いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。


『「単なる生存」ではなくて、人として「意味ある生活」をしたいと考えるのは、

 いのちというものへの傲慢(ごうまん)ではないかと、能芸の評論家は言う。

 一つのいのちがここにあること自体が、他のいのちとの共生による一つの達成である。

 だから人の「生存」を「役にたつとかたたぬとか計ってはいけない」と。

 「生きることに〇✕はない」から。』


う~む、なるほど‥‥。とても奥が深いお言葉です。

私なぞは、何も考えることなく、

「生きがい」とか「生きざま」という言葉を平然と使っているように思いますが、

戸井田さんのお言葉によると、「いのちというものへの傲慢」になりかねないのですね‥‥。

ただ、そうは言っても、私は「生きがい」とか「生きざま」という言葉は好きだなぁ~。

だって、由紀さおりさんの歌にも、『生きがい』という名曲があるんだもの‥‥。


♬ もう別れてしまった二人なのに

  遠くはなれてしまった二人なのに

  私はあなたとしか 生きられない

  それだけが 私のよろこび

  それだけが 私の幸せなの


こうしたケースの「生きがい」には、

役に立つとか立たないとか、〇も✕もないような気がします。

私は、「意味ある生活」を求めることが、いかにも人間らしいと思うのだけど、

解釈の仕方が間違っているのかな??

台風一過の雑感(続き)

昨日の続きです。

今朝の愛媛新聞の、17日午後8時55分ごろに撮影された

危険水位に迫る緊迫した重信川の写真を見て、改めてびっくりしました。

こんなに水位が上昇した重信川は、私は生まれてこの方、見たことがありませんでした。

ところが、今朝の通勤途上で、伊予鉄郡中線郊外電車の車窓から見た重信川は、

いつも見慣れている重信川と、ほとんど変わらない状態になっていました。


ところで、その新聞報道によると、

台風18号は、県内でも住宅1棟の半壊や多数の床下・床上浸水の被害が明らかになったほか、

鉄道など交通機関の乱れも続いたようですが、

一方では、貯水率の低下で冬場の渇水が心配されていた松山市石手川ダムは、

18日正午までにほぼ満水となったとのことでした。


また、愛媛国体ボート競技会場の今治市の玉川ダムでは、

貯水率低下でコース短縮も視野に準備が進められていたところ、

台風の雨で貯水率が満水近くまで回復したことで、

予定どおり千メートルコースで行う可能性が出てきたとのことでした。


う~む‥‥‥。(沈黙) ちょっと複雑な心境です。

被害や混乱をもたらした台風が、

一方では、(不謹慎な表現かもしれませんが)「恵み」というものを与えてくれたとは‥‥‥。

私なりの結論としては、いくらAIなど科学技術が発達しても、

人間は自然の前、あるいは神の前では、常に謙虚であるべし‥‥といったところでしょうか。

台風一過の雑感

台風一過の今日、敬老の日は、少し蒸し暑かったものの、よく晴れて透き通るような青空が広がりました。

下の写真は、「エミフルMASAKI」とその上空の雲一つない青空を、買い物帰りに撮ったものです。

また、もう一枚の写真は、町内のほぼ中心部を流れる「長尾谷川」を撮ったものです。

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さて、昨日は、夕方から雨の降り方が激しくなってきたところ、

ご覧の長尾谷川や周辺水路が氾濫しそうなので、避難所を松前小学校などに開設した旨の放送が、

町防災行政無線から聞こえてきました。(激しい雨音で少し聞き取りにくかったですが‥‥。)

えっ‥‥? 避難所開設? 

災害の少ないこの町で、避難所が開設されたのは初めてのように思っていたところ、

今度は携帯電話に、「重信川の出合(松前町)付近で水位が上昇し、

避難勧告等の目安となる「氾濫危険水位」に到達しました。堤防が壊れるなどにより

浸水のおそれがあります」という内容のエリアメールが送信されてきました。


それとほぼ同時に、先ほどの町防災行政無線からは、重信川長尾谷川の周辺地区住民に、

避難勧告が発令された旨の放送がありました。

これ以降、我が家でも俄かに緊迫度が増してきました。

一級河川重信川の堤防が決壊するとなると、そこから遠く離れた我が家でも浸水のおそれがあります。

事実、亡き祖母からは、「昔、重信川の堤防が決壊し、ここまで水が押し寄せてきた」という話を

私は幾度も聞かされています。

それから慌てて、ろうそくや懐中電灯を用意し、飲料用のペットポトル数本を2階に持って上がりました。

幸いにして、その後は雨脚も弱まり、これといった被害もなく、避難勧告も次々に解除されましたが、

台風に伴う暴風雨の怖さを改めて思い知った一日でした。


町役場や警察・消防など関係者の皆さんは、この三連休に災害対策のお仕事、大変お疲れさまでした。

夜間に、しかも雨が降りしきるなかでの避難勧告発令の判断は、難しかったのではないかと拝察します。

台風18号は、全国各地に大きな爪痕を残しながら、列島を縦断して去っていこうとしています。

被災された皆様には心よりお見舞いを申し上げ、一刻も早い復旧をお祈りします。

「正義」か「野望」か

九州に上陸した台風18号の影響で、お昼過ぎから雨脚が強くなり、

今の時間は、強い風とともに、雨が断続的に降り続いています。

そのため、今日は外出を控えて、まったりとした一日を過ごしています。


さて、今日の荒れた天気が予想されていたため、

昨日は、午後8時から「エミフルMASAKI」の映画館で上映中の

関ヶ原http://wwwsp.sekigahara-movie.com/を観に行ってきました。

とても迫力があって面白い映画でしたが、ストーリーの展開が早く、

主だった登場人物以外は、誰がどの役を演じているのか、ほんんど分かりませんでした。(苦笑)

家に帰って、映画のHPを見て、ようやく理解した次第です。

それと、「関ヶ原の合戦」のことは、歴史の授業で習いましたが、

映画を観るに当たって、もう少し歴史を復習しておけばよかったと反省しています。


ところで、この映画で印象的だったのは、やはり、

「正義」によって世の中を変えようとする、“純粋すぎる武将”石田三成の姿と、

その三成に配下として仕える猛将・島左近と伊賀の忍び・初芽の姿でした。


私の好きな言葉に、「菜根譚」(洪自誠の随想集)の

『道徳に棲守するは、一時に寂寞たり。権勢に依阿するは、万古に凄涼たり。

 達人は物外の物を観、身後の身を思う。

 むしろ一時の寂寞を受くるも、万古の凄涼を取ることなかれ。』という言葉があります。


京・六条河原で処刑された時の三成の心中は、果たしてどうだったのでしょうか?

信念を貫こうとした自らの生き方に悔いはなかったのでしょうか?

権謀術数が渦巻く世の中で、「道を守って生きる」あるいは「理想に生きる」のは、

関ヶ原の合戦」から400年以上経っても、変わらぬ難しさだと思います。