しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「静かな有事」に目覚める本

『人口減少時代の土地問題~「所有者不明化」と相続、空き家、制度のゆくえ』

(吉原祥子著:中公新書)を読了しました。

 

著者は本書の「はしがき」で、執筆の意図を次のように述べられていました。

『……いま、こうした土地所有者の居所や生死が判明しない、

 いわゆる土地の「所有者不明化」問題が、日本各地で表面化している。

 災害復旧、耕作放棄地の解消、空き家対策で、土地の所有者の特定に時間がかかり、

 支障となる例が各地で報告されている。なぜ、代表的な個人資産であり、

 公共的性格をあわせもつ土地が所有者不明になるのか。

 実際、問題がどの程度起こっているのか。

 そもそも土地制度設計には問題はないのか。

 また、このままではどうなっていくのか。

 本書は、こうした問いに答えることを目指すものである。』

 

そして、最終章の「解決の糸口はあるのか」では、次のように述べられていました。

『地域で発生する土地の「所有者不明化」問題の一つひとつは、

 個人単位の小さなものかもしれない。

 しかし、それが各地で慢性的に発生し積み重なっていけば、

 本書で見たように地域のさまざまな土地利用の足かせとなっていくだろう。

 この問題は地域の活力を削ぐものであり、地方創生の根幹にかかわるものである。

 土地とは私たちの生活の基盤であり、代替性のない唯一無二のものである。

 30年以上、あるいは50年以上前のままの登記登録が、

 いま各地で土地利用の妨げとなっているように、

 土地制度の課題についての無自覚や解決の先送りは、

 子孫や孫の世代に負の資産を残すことになる。』

 

1989年の人口動態統計において、

合計特殊出生率が過去最低の1.57に低下した際には「1.57ショック」、

また、少子化問題は「静かな有事」とも呼ばれましたが、

本書を読み終わった後、この「静かな有事」という言葉を思い出しました。

問題そのものは静かに進行し、何か危険な事態や事象が直ちに起きるのはないけれど、

少しずつ、しかも確実に、この国の活力や創造力が失われていく……。

土地の「所有者不明化」問題も、

まさにこの「静かな有事」に該当するのではないかと思いました。

 

最初と最後の箇所だけ引用し、途中の大切な箇所の記述を省略しましたが、

この国には、少子化問題をはじめ、

解決すべき様々な「有事」が存在することを改めて自覚させてくれる、

力のこもった良書だと思います。

 

 

 

 

 

生涯忘れることのない名曲

台風18号が近づいているせいか、今日は終日、どんよりと曇った一日でした。

また、気温もぐっと下がって、Tシャツでは肌寒いくらいでした。

それでも、夕方には、まだツクツクボーシが鳴いていました。

肌寒い日に聞くツクツクボーシの鳴き声は、いつもと違って物悲しい響きです。

 

さて、今月12日にBSジャパンで放映された

『あの年この歌~時代が刻んだ名曲たち』は、

http://www.bs-j.co.jp/anotoshi/175.htmlf 昭和49年(1974年)のヒット曲でした。

この年、私は、浪人生活を京都駿台予備校の三畳一間の寮で送っていました。

備え付けの簡易ベッドと机が部屋のほとんどを占め、テレビやエアコンはなく、

社会との接点は、小さなラジオから聞こえてくるニュースや音楽でした。

 

そう、その時、ラジオから流れていたのは、先ほどの番組でも紹介されていた

精霊流し」(グレープ)、「ふれあい」(中村雅俊)、

「私は泣いています」(りりィ)という名曲のほか、

岬めぐり」(山本コウタローとウィークエンド)、「神田川」(かぐや姫)、

「結婚するって本当ですか」(ダ・カーポ)、

そして、高校生の頃から大好きだった天地真理の「想い出のセレナーデ」……。

さらには、「夕暮れ時はさびしそう」(NSP)や

「追伸」(グレープ)という名曲も、この年に生まれた曲でした。

 

いずれも曲も切なく、そして物悲しいメロディーで、

孤独で寂しかった私は、一人涙を流しながら聴いていましたが、

生きる支えになるのは、何も明るくポジティブな曲とは限りません……。

あれからもう40数年……。

生涯忘れることのない昭和49年の名曲の数々は、今も私の宝物です。

 

 

凡人の直感と俳句の魅力

先月、松山市で開催された「第20回俳句甲子園」の個人最優秀賞は、

岩田さん(開成高校)の『旅いつも 雲に抜かれて 大花野』という一句でした。

 

私は俳句を趣味にしているわけではなく、

また、季語などの基本的な知識さえ持ち合わせていないので、

自分の直感に頼った評価しかできないのですが、

この一句を超えるような壮大な句は、

しばらくは出てこないのではないかと思わせる、そんな魅力的な一句でした。

 

すると、昨日13日の愛媛新聞に、愛媛県出身の俳人である夏井いつきさんが、

「秀句と巡り合うシアワセ喜ぶ

 ~勝ったといって泣き、負けたといって泣く高校生の姿に涙する」

というタイトルのエッセイを寄稿されていて、

この一句と俳句甲子園の魅力について、次のように述べられていました。

 

『〈旅いつも雲に抜かれて大花野〉(開成高校 岩田奎)

 今年最優秀賞を受賞した一句だ。芭蕉西行も旅をした。

 「いつも」は普遍的な時空を表現する一語。

 悠々と続く「旅」は豊かな「雲」を見上げる旅、

 美しい「大花野」に心を遊ばせる旅だ。

 閉会式の舞台、岩田くんへの最後のインタビューは

 「あなたにとって俳句とは?」だった。

 これまた実にベタな凡人的発想の質問だが、彼は一瞬とまどった後に

 「旅、ですかね」と一言、爽やかに答えた。

 「俳句甲子園の魅力」を一言で語る言葉を、私はまだ見つけられていない。

 が、大会が終わってからも「旅いつも」の句が心にふっと浮かぶ

 口をついて出る。いい句に巡り合えたシアワセを喜ぶ。体中の血が奇麗になる。

 それだけでいいのだよ、きっと、と思う。満ち足りる。

 そんな喜びが俳句甲子園なのだ。』

 

う~む、なるほど……。

「体中の血が奇麗になる」というのは、ものすごく上手な表現ですね…。

私のような凡人の直感も、案外、的外れでないことが分かって、少し安心しました。

来年のこの大会でも、秀句が登場することを、今から楽しみにしています。

軽視できない言動

昨日12日の日経新聞電子版「政治アカデメイア」に掲載された

清水真人編集委員の執筆による 『財政危機と消費増税を語り始めた小泉元首相』

というタイトルの記事が興味深かったです。

 

記事では、小泉元首相の最近の発言が次のように紹介されていました。

まずは、今月6日、大阪市内のホテルで講演された際の消費税についての発言です。

『消費税に食料品などの軽減税率を設けるのは低所得者のためだというが、

 違うと思う。消費する金額は高所得者の方が圧倒的に多いから、

 軽減税率の恩恵も大きい。 一番お金を使うのはお金のある人たちだ。

 その層に軽減税率が適用されるのはおかしい。税収も減ってしまう』

『消費税はすべて年金、医療、介護など社会保障に充てる目的税にする。

 それで一番、恩恵を受けるのは低所得者だから、理由は十分に成り立つ。

 しかも、税制は簡素であるべきだ』

『消費税率を10%にしても15%にしても、

 社会保障の予算を賄うにはまだ足りない。

 いずれ15%、20%になるとほとんどの専門家が言っている。』

 

次に、自民党が東京都議会選挙で惨敗した直後の7月上旬、

東京・霞が関財務省にお一人で現れた際に語られたという発言です。

『日銀が保有する400兆円の国債は政府との間で相殺すればよいので、

 返済の心配は必要ない、財政状況は言うほど悪くないという説は本当か?

 国債をさらに増発して財政を拡大し、

 景気対策をやる方が税収が増えて財政を再建できる、なんて、

 そんな楽な話がありうるのか?』

 

う~む、なるほど……。

小泉元首相は、今年1月に

後期高齢者とも呼ばれる75歳を迎えられたとのことですが、

記事から想像するに、至極お元気な様子で、誠に御同意に堪えません。

また、発言されている内容は、一国民である私から見ても、

まことにごもっともと思えるもので、

こうした発言を契機として、活発な議論が各界各層でなされることを

ご本人は期待されているのではないでしょうか?

 

なお、記事の最後に書かれていた

『首相の通算在任期間では小泉を超えた安倍だが、

 変人宰相の歯に衣(きぬ)着せぬ言動はなお軽視できない。』という記述が、

不思議なほど心の片隅に残り続けています……。

 

追記

清水真人編集委員といえば、

『官邸主導~小泉純一郎の革命』(日本経済新聞社)などの良書がありますが、

『消費税~政と官との「十年戦争」』(新潮社)もお薦めの一冊です。

消費税 政と官との「十年戦争」 (新潮文庫)

消費税 政と官との「十年戦争」 (新潮文庫)

 

 

 

自分の問題として考える

先週7日のこの日記では、

地方自治に関する頭の体操」というタイトルで、「週末議員」に関連して、

議員報酬のことについても、生意気ながら自説を披歴しました。

 

すると、今月9日の日経新聞「今を読み解く」で、 牛山久仁彦・明治大学教授が、

『自治体議会 どう再生 住民も「自分の問題に」』という論評(書評?)において、

次のようなことを書かれていました。

『自治体議会への批判が高まる一方、改革に取り組む議会もある。

 相川俊英「地方議会を再生する」(集英社新書・17年)は、

 長野県飯綱町議会が取り組んだ改革によって、

 議会が行政監視や政策立案といった機能を拡大していく様子を明らかにする。

 本書で言及されている「報酬の増額」に関する記述は、

 議員のなり手不足が深刻化する中、

 とくに町村議会における低い報酬がそれを誘発する側面を指摘する。

 議員活動を保証する報酬の水準とは、

 また、報酬に見合った議員活動とはいかなるものかを考えさせられる。』

 

あぁ~、よかった……。

「しかるべき議員報酬の支給」を主張するのは、私だけではなかったのですね。

なお、牛山教授はこの記事の最後で、次のように述べられていました。

『議会を廃止し、有権者による「住民総会」の導入を検討している高知県大川村が

 話題になっているが、議会というものが果たしてきた民主的な機能の重要性に鑑み、

 自治体議会の縮小論議ばかりでよいのだろうか。

 住民は自らの投票行動や立候補のあり方について

 議会を自分の問題として考えてみるべきである。

 その上で議会が置かれている環境や制度について十分に理解し、

 議会を強化する議論が必要である。』

 

はぃ、分かりました。そのとおりだと思います。

「議員定数の減」や「議員報酬の減額」、「議会不要論」を論じる前提として、

自治体議会を自分の問題として考えることが大切なのですね。

まずは、皆で投票に行くことから始めましょう!