しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「格差を伴う多様化」と「幸齢社会」

二つの対照的なエッセイとレポートを読んで、考えることがありました。

一つは、JMMの村上龍編集長のショート・エッセイです。
『退職した中高年には、
 2:6:2という数字で表される「格差を伴う多様化」があります。
 約2割の悠々自適層、2割の困窮層、そしてグレーゾーンにいる6割の人々です。
 ただし、現状、条件のいい再就職先がない場合、
 グレーゾーンにいる人たちは長生きすればするほど生活に余裕がなくなります。
  〜(中略)〜
 事業の失敗、借金の連帯保証人、病気、事故による後遺症、再就職の失敗、
 家庭の崩壊、ホームレスになる要因はさまざまですが、
 失敗と不運が続けば、今の時代、誰もがホームレスになる可能性があります。』

もう一つは、ニッセイ基礎研究所の土堤内主任研究員のレポート、
『「「分かち合う」幸齢社会〜“おひとりさま”時代の「老い支度」』」です。
『高齢化が進む日本は、同時に世界で最も長寿な国のひとつである。
 平均寿命は男性79.4年、女性85.9年だ。
 一方、今後の超高齢社会は単身世帯が増加し、
 孤立死など高齢者の社会的孤立が深刻な“おひとりさま”時代でもある。
 このような社会のなかで、
 どうすればこれほど長くなった人生を幸せに暮らすことができるだろう。
  〜(中略)〜
 現代社会は「競い合うこと」に目を奪われ、
 「分かち合うこと」を置き去りにしていないだろうか。
 これから本格的に訪れる“おひとりさま”時代は孤独だ。
 しかし、今年101歳になる聖路加病院理事長の日野原重明さんは、
 『自分のためにではなく、人のために生きようとするとき、
 その人は、もはや孤独ではない』と言われている。
 幸せに年を重ねる「幸齢社会」を迎えるための本質を突いた言葉であるように思う。』

どちらも、「そのとおりだと思う」内容です。
ただ、やはり、幸せに年を重ねる「幸齢社会」を迎えるためには、
それなりの「蓄え」がないと、生活に余裕がなくなるのは事実だと思います。

「分かち合う」、あるいは「人のために生きる」ためには、自分にとって「何」が必要なのか?
「高邁な精神」か、それとも…??
 でも、人生には「失敗や不運」は付き物ですよね。
人は、「失敗や不運」に見舞われても、「分かち合う」ことは果たして可能なのでしょうか?
次元が違う問題を対照して考えること自体、無理があるのかもしれません。