しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

遠景となる昭和

こんなことは珍しいのではないでしょうか?

今日27日の全国新聞の一面コラムは、

すべて女優・原節子さんのご逝去を悼むものでした。

 

42歳で映画界から身を引き、95歳でお亡くなりになったとのことですから、

原さんが出演された映画を一度も観たこともない私には、

名前こそ知っていても、その業績やお人柄などを知る由もないのですが、

一面コラムに掲載された次のような一節を読むと、

にわかに親近感がわいてくるのが不思議といえば不思議です。

それほどに、コラムニストの文章には読者に訴えかける力があるのですね…。

 

朝日新聞天声人語

男性に対する辛辣な言葉を残している。

「男性は女を見るときは愛玩物ではないけれど、

可愛いタイプの人が好きなんですね」。

自分は大柄だし、優しい目つきをしているつもりでも

相手には怒られているように思われてしまう、と。

 

毎日新聞「余禄」

「原さんは美しいまま永遠に生きている人です。」

山田洋次監督の追悼談話は大方のファンを代弁していよう。

日本映画が最も輝いた時代、その時を止めて永遠に色あせぬ作品と

演技を後世に残した原さんの静かな後半生だった。

 

産経新聞「産経抄」

原さんと小津監督がコンビを組んだ「晩春」「春秋」「東京物語」は、

共通するヒロインの名前から、「紀子三部作」と呼ばれている。

楚々とした振る舞いのなかに、強い意志を秘めている。

若い人にもぜひ、昭和の女性の理想像に触れてもらいたい。

 

・読売新聞「編集手帳

その人を<焼け跡に舞い降りた天使>と呼んだのは写真家の秋山庄太郎さんである。

たとえ戦争に敗れても、人は気高く、優しく、誇り高く生きることができる。

東京物語」や「青い山脈」を通して原節子は、自信を喪失した日本人に語りかけた。

 

日経新聞「春秋」

15歳でデビューし、日独合作の「新しき土」で評判を取り、

やがて国策映画にも凛々しく登場した経歴をみれば時代を背負った女優だ。

ずるいんです。ずるいんです。

自分を責める紀子になりきった原さんは両手で顔を覆い、さめざめと泣いた。

戦争と、その理不尽の記憶を胸にたたえた人が逝って昭和はまた遠景となる。

 

一面コラムとは別に、今日の日経新聞「文化」欄には、

佐藤忠男日本映画大学学長の追悼文が掲載されていました。

 

原さんが昭和37年に引退した理由について、

確かなことは分からないけれど、若い頃からよく、

「自分は映画界にあこがれて入ったわけではない、とか、

ただボケーッとしている日々がいい」などと言っていたことが紹介されていました。

 

『そう言わずに老いることの魅力などもぜひ見せてほしかった。

いまこそそれが必要なのだから。』と、佐藤さんの弁……。

 

「昭和の女性の理想像」もさることながら、

高齢化社会の現代日本において、「人間が老いるとはどういうことか」について、

私も、「伝説の女優・原節子」の名演技を見てみたかったです…。