昨日は、昭和から平成にかけて、
農林水産部で一緒に働いていた仲間4人との飲み会でした。
二次会のスナックでは、そのうちの二人がカウンターで寝込んでしまい、
ママさんの「起こしたら可哀想だから、そのまま寝かせて置いたら?」という、
やさしいアドバイスに従い、私ともう一人でカラオケを歌っていたのですが、
寝ていた二人が目を覚ましたのは、なんと午前1時でした………。(あ然)
今日は今日で、地元の仲間との飲み会が、午後6時から予定されています。
仕事が休みの日もハードスケジュールが続きます……。(苦笑)
さて、話は全く変わりますが、
「一般教養」、すなわち「リベラルアーツ」が大学や大学生にとって必要なことは、
池上彰さんはじめ、いろいろな方が力説をされています。
私は、大学生はもちろんのこと、私のような「向老世代」にも
リベラルアーツは必要だと思っているのですが、
その必要性をどのように説明したらよいのか、
浅学菲才ゆえに適切な表現が見つかりませんでした。
ところが、ニッセイ基礎研究所「研究員の眼」で
主任研究員の方が、次のように書かれているのを見つけて、
「我が意を得たり」の気持ちになりました。
『若い学生にとって広い視野を涵養するリベラルアーツは極めて重要だが、
同時に私のような還暦を過ぎた世代にも同様のことが言える。
何故なら、多くの経験と知識を獲得してきた人間は、
それらに縛られ息苦しくなったり、
人生の方向性を見失ったりしていることが多いからだ。
「おとなの教養」を深めることが、
自らのアイデンティティと立ち位置を明らかにし、
自由に生きるための針路を示してくれる、
それが今日のグローバル化時代に
リベラルアーツが注目される理由ではないだろうか。』
そう、そうなんですよね……。
還暦を過ぎた人間は、どうしても過去の体験などに縛られて、
今の「立ち位置」をすっかり忘れてしまうことがあります。
ですから、「リベラルアーツ」は、
自らの「アイデンティティ」を再確認するために必要なのですよね。
そうした確認作業で身につけたものこそが、「おとなの教養」だと思います。