今週の勤務は変則的で、今日と明日は仕事はお休み、
その代わりに今度の日曜日が出勤です。
さて、一昨日の22日は「猫の日」でした。
2月22日を猫の鳴き声「ニャン・ニャン・ニャン」と
もじって決められた日とのことで、
『恋の季節がやってきた。ヒトではなくネコの話である。
「春の猫」「うかれ猫」「猫の妻」「猫さかる」。
恋に突き動かされるさまをとらえた季語を並べてみると、
不思議と寒さがやわらぐ気がする。
俳人たちもこの時期のネコたちに魅せられてきた。』という文章で始まり、
その猫について、次のような俳句が紹介されていました。
・麦飯に やつるる恋か 猫の妻 (芭蕉)
・まとうどな 犬踏みつけて 猫の恋 (芭蕉)
・おそろしや 石垣崩す 猫の恋 (子規)
・うらやまし 思いきる時 猫の恋 (越智越人)
・恋猫や 世界を敵に まわしても (大木あまり)
また、同日付けの愛媛新聞「季のうた」は、
永田耕衣の『恋猫の 恋する猫で 押し通す』という俳句で、
俳人・土肥あき子さんの次のような解説がありました。
『恋のシーズンの雄猫は、見境のない鳴き声で相手を誘い、また恋敵を威嚇する。
静かな夜をつんざく行為にはへきえきするが、ひそかに隠すことを習いとし、
複雑な背景をあやなす人間の恋を知っている身としては、
本能のみに従って横行する猫に、うらやましさもちらりとのぞく。
<恋>という高尚な看板をもらった猫は、
今夜も声を限りに妻を探して、人間の迷惑など知るよしもなく、
放歌高吟を尽くすのだろう。』
ところで、猫といえば、娘がよちよち歩きの頃、
ほとんど我が家に住み着いた、まだら模様の野良猫がいました。
その猫は小さい娘が近づいても逃げようともせず、
逆に、私たち家族の姿を見つけると、
どこからともなくやってきて、エサをねだる愛嬌な仕草をしていました。
身体が衰えた晩年は、見ていて痛々しくもありましたが、
その最期も、我が家の庭の隅っこで横たわっていました。
今も、我が家の塀と庭は、ご近所の飼い猫の散歩コースになっています。
そして、その我が家の庭には、ご覧のとおり、
ヒマラヤユキノシタとランに花が咲いています。
弥生三月を間近に控え、春が目に見えるかたちで近づいています。