冬将軍がどっかりと日本列島に腰を据えて、連日、身を切るような厳しい寒さが続いています。
それはまるで、冷蔵庫のなかで生活しているような感覚です。ほんと、大袈裟ではなく‥‥。
さて、今日6日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、
イタリア文学者で随筆家、須田敦子さんの
『私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知った』
という言葉で、いつものように鷲田清一さんの次のような解説がありました。
『教会の片隅で、司祭も信徒もなく人々が自由に集う共同体を夢見て発足した
イタリア・ミラノの小さな書店。その消息を綴(つづ)る作家は、
そこを行き交う人々の交友を支えたのは、別々の途(みち)を歩むそれぞれの孤独だったとふり返る。
随想『コルシア書店の仲間たち』から。
評論家の松山巖は文庫版の「解説」で、「孤独とは他人を全身で認め、恋うること」と、
返歌のように記す。』
「須田敦子さんて、どこかで聞いたことのある名前だなぁ‥‥」と考えていたら、
ようやく思い出しました。
町立図書館で借りて読んだ、若松英輔さんの『生きる哲学』(文春新書)に、
その人の生きざまと思索の過程が描かれていました。
しかも、14人の「生きる哲学」を実践した方々のうち、
須田敦子さんはトップバッターで紹介されていたと思います。
それにしても、「孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知った」
「孤独とは他人を全身で認め、恋うること」というのは、
孤独というものの本質を示唆した、奥深い文章表見だと思いました。
もっとも、私は未だにこの境地に達したことがありません‥‥。
それはおそらく、本当の意味での「哲学的な思索」をしたことがないからだと思います。